中国由来説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 15:30 UTC 版)
盛り塩は西晋の初代皇帝の司馬炎が起源という説もある。 司馬炎は女色にふけったことでも知られる。三国統一以前の泰始9年(273年)7月には、詔勅をもって女子の婚姻を暫時禁止し、自分の後宮に入れるための女子を5千人選んだ。さらに呉を滅亡させた後の太康2年(281年)3月には、呉の皇帝であった孫晧の後宮の5千人を自らの後宮に入れた。合計1万人もの宮女を収容した広大な後宮を、司馬炎は毎夜、羊に引かせた車に乗って回った。この羊の車が止まったところの女性のもとで、一夜をともにするのである。そこで、宮女たちは自分のところに皇帝を来させようと、自室の前に竹の葉を挿し、塩を盛っておいた。羊が竹の葉を食べ、塩をなめるために止まるからである。この塩を盛るという故事が、日本の料理店などで盛り塩をするようになった起源とも言われている。なお、1万人の女性といっても、后などを世話する女官などの数も入っているため、実際に司馬炎が1万人の女性を相手にしたというわけではない。
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