中国の食人文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 02:11 UTC 版)
「黄文雄 (評論家)」の記事における「中国の食人文化」の解説
黄は中国における食人の記録から、中国人は「人食い人種」であり、「食人文化は、中国四千年の歴史を貫く伝統」であると主張している。また、孔子が人肉好きだったとして、次のように主張している。 子路が衛国の大夫である孔悝(中国語版)の荘園の行政官になっていたころ、衛国に父子の王位争いが起こった。子路はこのお家騒動にまきこまれて、殺された。子路の屍は細かく切りきざまれ、無惨にも〈醢〉にされた。それは使者によって孔子の食卓にまで届けられてきたのだ。以来、孔子は大好物の〈醢〉を食べるのをやめたそうだ。 —不明(礼記)、蔡元放(東周列国志)、荘子,『礼記』、『東周列国志』、『荘子』 『礼記』『荘子』の原文は以下の通りである。 檀弓上:孔子哭子路於中庭。有人吊者,而夫子拜之。既哭,進使者而問故。使者曰:「醢之矣。」遂命覆醢。 —不明,『礼記』 子以甘辭說子路而使從之,使子路去其危冠,解其長劍,而受教於子,天下皆曰『孔丘能止暴禁非』。其卒之也,子路欲殺衛君而事不成,身菹於衛東門之上,是子教之不至也。 —荘子,『荘子』 この他、『孔子家語』にも同じ逸話がある。 子路與子羔仕於衞。衞有蒯聵之難。孔子在魯聞之、曰、柴也其來。由也死矣。既而衛使至。曰、子路死焉。夫子哭之於中庭。有人弔者、而夫子拜之。已哭。進使者而問故。使者曰、醢之矣。遂令左右皆覆醢。曰、吾何忍食此。 —孔子,『孔子家語』 明治書院版『孔子家語』の訳者宇野精一は「衛の人が子路の遺体を塩漬けにしたのは、単に刑罰として行ったのではなく、おそらくその肉を食ったのだろう。それは勇者の肉を食うことに意味があったのだと考えられる」としている。
※この「中国の食人文化」の解説は、「黄文雄 (評論家)」の解説の一部です。
「中国の食人文化」を含む「黄文雄 (評論家)」の記事については、「黄文雄 (評論家)」の概要を参照ください。
- 中国の食人文化のページへのリンク