中国の仏教絵画とは? わかりやすく解説

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中国の仏教絵画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 09:08 UTC 版)

仏教絵画」の記事における「中国の仏教絵画」の解説

歴代名画記』によると、唐代までは、壁画中心であったようである。敦煌莫高窟からは、5世紀から12世紀多数壁画の他、幡(のぼり)に描いた仏画経典挿絵として巻子本経典冒頭描かれ仏画が、敦煌文献と共に発見された。 敦煌石窟では、北魏代の5世紀頃には、仏伝本生譚多く制作された。唐代7世紀頃から、各如来浄土図(浄土変相図)が多くなる空海東寺将来した真言七祖像のうち5幅は、宮廷画家李真などが制作した確実な唐代絵画(ACE806年頃)である。 李真不空五代十国時代前蜀では、貫休zh:貫休)(832年 - 912年)の容貌魁偉十六羅漢図が知られる。 遼初期の作品としては北宋画院様式岩山寺(zh:岩山寺)(山西省)の壁画がある(ACE1167年)。 南宋時代仏画日本にも輸入され永保寺所蔵絹本着色千手観音図などが伝わっている。南宋時代以降には、禅宗寺院文人官僚趣味合わせた水墨画白描画仏教絵画制作された。 牧谿 観音図(大徳寺)、絹本水墨南宋時代 呉彬(zh:吴彬) 五百羅漢図巻(クリーブランド美術館)、紙本淡彩、明時代後期 また、モンゴル族チベット仏教信仰していたため、元時代チベット様式仏教絵画導入され以後、明、清時代にも盛んに制作された。 敦煌莫高窟 275号窟壁画 シビ王本生北涼時代 敦煌莫高窟 57壁画 観音菩薩像時代

※この「中国の仏教絵画」の解説は、「仏教絵画」の解説の一部です。
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