中国でのアホンの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 16:54 UTC 版)
中国におけるイスラームの宗教教育は経堂教育と呼ばれ、アホンの思想は経堂教育の創始者とされている胡登洲(1522年 - 1597年)の道統を継承している。中国のイスラーム社会では17世紀から経堂教育の体系が整備され、その中でアホンは教師の役割を担っていた。回儒と呼ばれる漢語を母語とするイスラーム知識人の多くはアホンが占めていたと考えられており、王岱輿、劉智などの人物が挙げられる。順治・康熙年間の中国大陸沿岸部では胡登洲の思想を継承するアホンたちがペルシア語で著されたスーフィズム(神秘主義思想)書籍の講義を行い、漢語世界のイスラーム学者との間に交流が生まれた。 清による新疆征服後、現地のアホンが政治に関与することは禁じられ、現地民の統治はベグと呼ばれる有力者に委ねられた。新疆の清真寺に派遣されたアホンは教育に携わるだけに留まらず、コミュニティ内で強い権限を持ち、回民蜂起では反乱を起こしたコミュニティの指導者となるアホンもいた。 中華人民共和国建国後、1958年に宗教制度民主改革が施行されると宗教指導者の特権待遇、イスラーム法に基づく裁判制度は廃止され、清真寺からアホンと彼に従う学生が追放された。文化大革命期の宗教指導者と一般信徒への弾圧を経て、1978年の改革開放政策の実施によって宗教弾圧は終息した。
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