中国での「魏碑体」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 04:34 UTC 版)
現在中華圏で魏碑体として出回っている書体は、1940年代後半に書家の陳留園氏がの六朝楷書の書法を基にして作ったものでこの書体は上海駅で使われ始めたことから「鐵路體」「火車體」などとも呼ばれており、1953年に上海駅の駅員になった周華進も1957年に上海を追われた陳留園の影響で六朝楷書の研究を行うようになった。1964年、上海の出版社が周華進のレタリングを書体として出版することを提案し、編集者は周華進と「魏碑体」と呼べるかどうかを話し合ったが、周は自分のスタイルは六朝楷書とは違うという理由で「魏碑体」という名称に反対したが、最終的に編集者は「六朝楷書をベースにしながらも新しい」という理由で「新魏碑体」と呼ぶことになった。 1973年、上海字模一廠が魏碑体を開発するようになり、六朝楷書風の文字を書くのが得意な数人の中から韓飛青が選ばれ、魏碑体を書くために上海字模一廠へ赴任した。のちにこの魏碑体は中華圏で標準化され、印刷用書体として印刷物や看板などに広く使用されている。
※この「中国での「魏碑体」」の解説は、「六朝楷書」の解説の一部です。
「中国での「魏碑体」」を含む「六朝楷書」の記事については、「六朝楷書」の概要を参照ください。
- 中国での「魏碑体」のページへのリンク