中南米のイギリス領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 01:26 UTC 版)
「イギリスによるアメリカ大陸の植民地化」の記事における「中南米のイギリス領」の解説
ベリーズ - イギリスの探検家達が1638年から毛織物の染料に使われるログウッドの採取を始めた。この地域はスペインが領有権主張していたが、入植は行われず、先住民を支配できていなかった。スペインが1717年、1730年、1754年および1779年にイギリスの植民地を破壊した。スペインは1798年に最後の攻撃を行ったが敗北した。この植民地は1973年まで英領ホンジュラスと呼ばれ、その後ベリーズとなった。グアテマラがベリーズの領有権主張を行っていたために独立が遅れ、1981年に独立が認められた。 モスキート・コースト(ニカラグアのカリブ海岸) - 1630年に初めて入植。1859年に北にあるベイ諸島と共に短期間ホンジュラス領となった。1860年にニカラグアに移譲。1965年の条約でモスキート・コーストを分離するまで論争が続いた イギリス領ガイアナ - 17世紀初期にイギリスが植民地化を開始。ブレダ条約でオランダが支配権を獲得した。後にイギリスが地域の幾つかの植民地を支配。1815年のウィーン会議でバービス、デメララおよびエセキーボの開拓地をイギリスに与えた。1831年に英領ガイアナとして統合。1966年にガイアナとして独立 フォークランド諸島 - 1765年に最初の基地ができたが1776年に放棄。1833年にアルゼンチンの管理部門が追放されてからイギリスの支配下。ただし1982年のフォークランド戦争でアルゼンチンが占領した期間は除く
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