両河川の沖積低地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 09:00 UTC 版)
鵠沼地区の東西を流れる境川、引地川の両河川は、上流から運ぶ土砂を下流に堆積し、沖積平野を形成する。砂丘地帯という浸食しやすい土地であるため、河川は自由蛇行を繰り返し、引地川の場合、1930年代に県による河川改修が行われるまでは、地形図が発行される度に流路が違うほどであった。境川の場合は、高座郡・鎌倉郡の郡境が現在の鵠沼東、鵠沼石上、鵠沼藤が谷付近で複雑に屈曲し、かつてこの河川を郡境に制定した当時の流路を想定できる。ことに鵠沼藤が谷4丁目から鵠沼桜が岡1丁目にかけての小字名を「川袋」というが、関東以北に多い「袋地名」の代表例で、深い蛇行を表している(袋地名の例としては、他に引地川の「地蔵袋」もある)。これらの自由蛇行の繰り返しは、後背湿地や河跡湖(三日月湖)を多く生み出し、「鵠沼」の地名のもととなったと考えられる。川袋の低湿地は明治時代に片瀬の地主の手で埋め立てられて水田化が図られ、さらに昭和初期、片瀬と鵠沼の双方から埋め立てられて宅地化が図られた。これらの埋め残しの部分は「蓮池」と総称されるいくつかの池沼が見られたが、現在は個人宅内のものを除くと2つだけが「桜小路公園」に遺されるのみとなった。両河川の沖積低地は、1960年代初頭まで水田が残っていたが、境川沿いの鵠沼東・鵠沼石上では藤沢市民会館、秩父宮記念体育館、南市民図書館、南消防署、神奈川県合同庁舎、保健所などの公共施設や大型店舗、集合住宅などが立地するようになった。一方、引地川沿いの水田地帯には太陽の家、八部(はっぺ)公園(鵠沼運動公園)、なぎさ荘などの公共施設が立地している。これら施設の周辺にはまとまった空間があるために、鵠沼地区の広域避難場所に指定されている。しかし、鵠沼地区内では最も浸水しやすい場所なのである。
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