不正手形事件の処理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 16:11 UTC 版)
「九州電気軌道不正手形事件」も参照 しかし経営権掌握直後、退任したばかりの松本枩蔵本人の告白により、松本が専務就任以来10年間にわたって社印・社長印を不当に持ち出し不正に社名手形を振り出していたという不正手形事件が発覚した。発覚時点で不正手形発行高は2250万円に達していたという。松本が九州水力電気への自社株売却に応じたのは、その売却益で償還期限の迫る不正手形をひそかに償還するためであった。しかし取得した九州水力電気の社債2500万円は世界恐慌によって価格が暴落してしまい、その計画は破綻してしまった。こうして行き詰った松本は麻生太吉に状況を告白するに至ったのであった。 不正手形2250万円は基本的には松本からの私財提供で償還できる金額であったが、その私財の大部分を占める九州電気軌道社債などの有価証券はすでに松本の個人債務約1900万円の担保となっていたため、まずはこの個人債務を返済する必要があった。解決策として、九州電気軌道はまず政府の意向を受けた日本興業銀行から2400万円の融資を受け松本の個人債務を返済し九州水力電気社債を収受する、次いで九州水力電気は同じく日本興業銀行から1500万円の融資を受け前記社債を償還する、最後に九州電気軌道は九州水力電気から受け取った資金で不正手形を決済する、という手続きが採られた。不正手形の処理は専務となったばかりの村上巧児が奔走し、翌1931年(昭和6年)6月2日に全手形の回収が完了した。事件の責任をとって旧経営陣は辞職し、九州電気軌道の役員はすべて九州水力電気系の人物となった。 これら一連の九州電気軌道買収の過程で九州水力電気では長期負債が急増して財務内容が悪化し、不況の影響も手伝って一時業績の低迷を余儀なくされた。業績回復後の1937年(昭和12年)9月に4400万円の増資が実施され、資本金は1億3000万円となった。
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