下のベーリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/05 07:59 UTC 版)
16世紀の門楼は、下のベーリーの内陸側にあり、入口通路の側面には2つの「D]の形の塔がある。かつての入り口は落とし格子と二重の扉に守られ、門衛室も両側にあった。入口上にはいくつか部屋があり、城の番人の宿泊施設として使われていたと思われる。門楼の周囲には、1690年の爆破以降に崩壊した石組みが残されている。 下のベーリーは、1400年代以降の城の観光のポイントであり、北端のグラント・タワー、城館主要部、キープが残っている。グラント・タワーは12m(39ft) × 11m(36ft)、壁の厚みは最高3m(9.8ft)ある。グラント・タワーは14世紀の基礎の上に建っているが、建物部分のほとんどは、16世紀の再建によるものである。当初は5階建てで、南の壁は18世紀初期の嵐で崩壊しているが、それでもまだ城の中では最も高い建物になる。残存する胸壁は1620年代に改築されたもので、塔の隅の上部には、持ち送りのある張り出し櫓(小塔)がついている。西のメインの扉、および東の裏門上部には出し狭間という狭い隙間が開いており、城を攻撃する者に向けて岩などを落とすことができた。西の扉は、溝と跳ね橋で守られており、玉石を敷いた囲い地に接続、主要な城壁との境目には門がある。現存する建物内部には、塔の東壁に敷設された螺旋階段で登ることができる。内部1階はホール、2~3階は部屋、小塔の屋根裏部屋から成っている。主な階の部屋には、16世紀の大きな窓と、防御のための銃窓がある。グラント・タワーの南側には、14世紀の控え壁の、厚いカーテンウォールが続いている。その区域の中央部は大ホールになっており、城主の個室となる主寝室と、北には採光室、南には台所がある。長方形の建物の基礎が、下のベーリー内の岩の多い塚に残っており、教会の跡だということが確認されている。
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