三大改革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/23 01:56 UTC 版)
弘法市の改革。終戦後の弘法市の出店は香具師の親分が仕切っていた。1956年、改革のため九条署と相談し「出店組合」を結成し、親分達の家、事務所をまわり、話し合った。結果的に、出店組合が教王護国寺に賃料を支払う形となった。 東寺高校の改革。 「洛南高等学校・附属中学校#概要」を参照 教王護国寺の真言宗東寺派からの独立。戦後、民主主義の高揚の中、真言宗東寺派内では管長・長者を民主的に公選で選ぶ意向が強まった。1956年12月、長者山本忍梁遷化のおり、後任長者を決定する宗会が休会の後、1957年1月再会宗会において、12月宝菩提院住職に就任したばかりの三浦俊良が特認議員として参加し、傍聴禁止、議場封鎖により全8議員中4名の出席議員により後任長者に木村澄覚を選出した。1963年東寺派宗会は「宗本分離」を可決し、教王護国寺住職と東寺派管長を分離するに至り、1965年教王護国寺は東寺派より離脱することとなった。1971年東寺派代表役員兼寺務長を解任した後、三浦俊良は教王護国寺寺務長に就任した。1972年3月、東寺派宗会議長鷲尾隆輝は東寺真言宗結成を記者会見において発表し、同年4月三浦俊良寺務長辞任により自身の教王護国寺寺務長就任を発表した。三浦俊良の辞任理由は「東寺を紛争の場とした責任をとって」とのことであった。
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