万年筆戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/22 01:46 UTC 版)
「英雄 (筆記具ブランド)」の記事における「万年筆戦争」の解説
「英雄」は昭和41年に日本で売り出され、新聞各紙は英雄の品質の高さと価格の安さに着目して「赤いバーゲン」(毎日新聞)などと大々的に記事にし始めた。一例として、昭和41年6月6日、『日本読書新聞』のコラムは「英雄」万年筆について次のように述べている。 「三百五十円の『英雄』が私たちの編集部を席巻している。一週間前に登場した『英雄』はペリカンやシェーファーやもろもろの国産品を駆逐してしまった。『英雄』は外貌はアメリカ製パーカーと百%類似しているのだ。違いといえば『HERO』の刻印だけ。そして書き味たるや、滑らかさ、たわみ、ペン先のまろやかな感触、すべて真正パーカーに優るとも劣らぬことを一人残らずとなえている。宣伝めくが、質においても三百五十円のしろものではない。私たちの半数以上は『英雄』を使い始めている」 英雄万年筆と同じ品質の製品は、国産では小売り価格1000円以上つけなければならないほどコストがかった。これについて当時のセーラー万年筆の阪田正三社長は「中国製のペンは減りが早く、また中国は人件費が安いうえ外貨獲得のため採算を度外視している」と述べていた。 中国製万年筆は、昭和42年度には約46万本を売り、輸入万年筆の39%を占め、国産万年筆メーカー各社に対する大きな脅威となった。これを一層煽りたてた毎日新聞はじめマスコミ報道について、昭和41年11月28日の『帝都日日新聞』は「毎日は朝日についで社内に共産党分子が多く潜入している新聞社だといわれており、これが巧妙に作りあげられた中共宣伝記事であったとしたら由由しき問題である。この点今回の毎日の報道は、なんとも不可解な報道姿勢であったといえる」とし、英雄を手放しで賞賛する報道は、政治的動機に基づく左翼メディアの宣伝ではないかとした。
※この「万年筆戦争」の解説は、「英雄 (筆記具ブランド)」の解説の一部です。
「万年筆戦争」を含む「英雄 (筆記具ブランド)」の記事については、「英雄 (筆記具ブランド)」の概要を参照ください。
- 万年筆戦争のページへのリンク