七塚一覧とは? わかりやすく解説

七塚一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/18 09:26 UTC 版)

羽咋七塚」の記事における「七塚一覧」の解説

大塚おおつか宮内庁名:磐衝別命別称御陵山 所在地川原町位置) 被葬:磐衝別命垂仁天皇第十皇子長さ100m前方後円墳で、5世紀中頃築造付近本念寺裏庭にある天井石から、横穴式石室有した考えられている。 大谷塚(おおたにづか) 宮内庁名:磐城王墓 別称:王児塚、観音塚「大谷塚」:隣接する本念寺真宗大谷派)に由来。 「観音塚」:墳丘にあった稲荷社神体観音菩薩であったことに由来所在地川原町位置) 被葬:磐城別王(磐衝別命の子長さ45m、高さ7mの円墳初めは70mほどの前方後円墳であったのが削り取られた、もしくは大塚と一体でその前方部であった、とも伝えられる犬塚(みずいぬづか別称:三犬塚薬師塚「薬師塚」:少彦名神社神体薬師如来であったことに由来所在地川原町位置) 被葬:三匹の犬怪鳥領民苦しめ怪鳥磐衝別命射落とし、三噛み殺した伝えられる(「羽咋」の地名の由来)。現在は少彦名神社鎮座し削られていて大きさ不明宝塚たからづか別称稲荷山稲荷山」:稲荷家(羽咋古代豪族)の墓に由来所在地川原町位置) 被葬:磐衝別命遺品埴輪、または羽咋弥公(磐衝別命子孫)とも円墳で、四方頂上部削り取られている。 姫塚(ひめづか) 所在地川原町位置) 被葬:三足比咩命(みたらしひめのみこと、磐衝別命の妃)もとは現在地東方直径約20mの円墳としてあったが、七尾線開通に伴い移転頂上にあった三俵苅社は羽咋神社合祀され、石像羽咋弥公の墓に移された。 剣塚(つるぎづか) 所在地川原町位置) 被葬:磐衝別命の剣七尾線開通前は塚周辺に「八幡」と呼ばれるがあった。八幡磐衝別命屋敷跡または羽咋神社元宮伝えられる。 痛子塚(いたごづか) 別称板子塚、皇子塚「板子塚」:付近地名由来所在地東川原町位置) 被葬:磐衝別命の娘三足比咩命(磐衝別命の妃)が病気になった時、悲しみのあまり死去した王女の墓とされる古く直径25mほどの円墳であったとされるが、現在は1本のが立つのみである。

※この「七塚一覧」の解説は、「羽咋七塚」の解説の一部です。
「七塚一覧」を含む「羽咋七塚」の記事については、「羽咋七塚」の概要を参照ください。

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