一柳氏の入部とは? わかりやすく解説

一柳氏の入部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 15:51 UTC 版)

小松藩」の記事における「一柳氏の入部」の解説

寛永13年1636年)、伊予松山藩24万石藩主蒲生忠知継嗣なく没したために改易され、その所領分割された。このうち松山藩東部に当たる西条68600石は、伊勢国神戸藩主一直盛に与えられたが、直盛は采地赴く途中大坂没した。 直盛の遺領男子3人によって分割された。伊予西条藩主継いだのは長男直重で、西条周辺の3万石領した次男直家は川之江一帯1万8600石に播磨国小野飛び地1万石を加え都合2万8600石を領した伊予川之江藩、のち陣屋播磨移し小野藩)。そして三男の直頼には1万石を分与された。直頼は西条の西に位置する周布郡新屋敷陣屋小松陣屋)を構え小松藩立藩する。小松地名付近に背の低い群生していたことに由来するという。 こうして伊予国東部には、西から小松藩西条藩川之江藩小野藩)と一柳家兄弟所領連なることとなったが、寛永19年1642年)に小野藩の直家が没すると、伊予国内の所領1万8600石が没収され幕府領となった(直家の系統播磨国小野藩1万石藩主として廃藩置県まで続く)。寛文5年1665年)には西条藩一柳直興(直重の子)が改易され、伊予国には小松藩のみが残ることとなった

※この「一柳氏の入部」の解説は、「小松藩」の解説の一部です。
「一柳氏の入部」を含む「小松藩」の記事については、「小松藩」の概要を参照ください。

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