一柳直末公首塚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 16:52 UTC 版)
現在の静岡県駿東郡長泉町下長窪字尾尻(尾尻公園北側)には「一柳直末公首塚」(長泉町史跡)がある。直末が戦死したとき、従僕の旗指作兵衛という者が敵の手に落ちないよう直末の首級を持ち去り、下長久保村の地に埋めたという(葬られたのは「遺骸」であるともされており、『寛政譜』では葬地は駿河国長久保村とある)。作兵衛はそのまま当地に住んで墓守を務め、以後子孫代々首塚を守ったと伝えられている。延宝4年には小松藩主一柳直治が追悼碑を建立した。昭和初期には寺院がないことは残念であるとして、一柳家末裔の一柳貞吉らによって山梨県南都留郡にあった長観寺が黄瀬川対岸(下士狩字陣場)に移転されて「一柳山長観寺」と称されたが、この寺は現存していない。
※この「一柳直末公首塚」の解説は、「一柳直末」の解説の一部です。
「一柳直末公首塚」を含む「一柳直末」の記事については、「一柳直末」の概要を参照ください。
- 一柳直末公首塚のページへのリンク