小野藩1万石とは? わかりやすく解説

小野藩1万石

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 10:23 UTC 版)

小野藩」の記事における「小野藩1万石」の解説

寛永19年1642年)、直家に嗣子無く没したため丹波国園部藩小出吉親の2男直次を直重の女婿として迎え、直家の嗣子として幕府願い出た。しかし当時末期養子認められなかったため、伊予国にあった所領没収され天領となり、遺領相続という形で直次に播磨国加東郡1万石を与えられた。 分領支配のために作られ敷地陣屋規模小さかったためか、承応2年1653年)に直次は小野陣屋小野市西本町小野市立小野小学校付近)を築いて移っている。 3代末礼は駿河加番延宝6年1678年)・元禄3年1690年)の2度務め元禄5年1692年)には大番頭となり、元禄16年1703年)には5代将軍徳川綱吉御側衆となった5代末栄の代に藩財政悪化し質素倹約を主とした財政再建行い中興の祖となった。 9代末延の天保4年1833年)には大規模な百姓一揆である「加古川一揆」が起こった天保7年1836年)には大国隆正招聘藩校帰正館」を開校した。末延の嫡子10代藩主となった末彦は生涯独身通したため、丹波国綾部藩九鬼隆都の5男を養子迎え11藩主末徳とした。末徳のもとで幕末迎え最後藩主となる。累代墓所縁類黒田氏と同じ東京都渋谷区祥雲寺にある。 歴代藩主のうち、第3代から9代の藩主駿河加番となっている(7代末昭のみ早世のため在番なし)。

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