一二等インターシティ・ユーロシティ
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「ラインプファイル」の記事における「一二等インターシティ・ユーロシティ」の解説
1979年の夏ダイヤ改正(5月27日)で、西ドイツ国鉄はインターシティ網の改革 (IC79) を行ない、運行間隔を1時間にするとともに全てのインターシティに二等車を連結した。このときラインプファイルはIC1号線のインターシティの一つ(列車番号 IC109/108)とされ、運行区間はハンブルク(ハンブルク=アルトナ駅) - ドルトムント - ケルン - マンハイム - バーゼル(SBB駅)間に変更された。前年の時刻表会議の段階では、この列車は別の名前がつけられる予定であったが、元IC2号線の列車名であった「ラインプファイル」が転用された。なおマンハイム以南ではIC3号線(ハンブルク - ハノーファー - フランクフルト - マンハイム - バーゼル)の経路をとるが、IC79では異系統のインターシティの間での経路の入れ替えが何組か行なわれており、ラインプファイルはそのうちの一つであった。 1982年夏ダイヤ改正(5月23日)では、スイス連邦鉄道(スイス国鉄)が1時間間隔のパターンダイヤを実施したことの影響で、北行のラインプファイル (IC108) の時刻が1時間早められ、チューリッヒ始発に変更された。 1985年夏(6月2日)には西ドイツでインターシティ網の再編 (IC85) が行なわれた。このときラインプファイルの運行区間は往復ともハノーファー - チューリッヒ間となった。途中ドルトムント、エッセン、ケルン、マインツ、マンハイム、バーゼルを経由しており、ハノーファー - マンハイム間はIC85における2号線(ハノーファー - ミュンヘン)、マンハイム - バーゼル間は3号線の経路である。 1987年5月31日には、ラインプファイルは新設されたユーロシティの一列車となり、運行区間はハノーファー - クール間に延長された。 1991年夏ダイヤ改正(6月2日)ではICEの運行開始や旧東ドイツ地域へのインターシティの乗り入れの本格化などに伴う系統の再編が行なわれた。ハノーファーとバーゼルをケルン経由で結ぶ系統はIC5号線(ただしドルトムント - ケルン間はヴッパータール経由)となり、2時間に1本はベルリンまで延長された。しかしこのときラインプファイルは廃止され、同じ時間帯の列車はベルリン発バーゼル行きおよびバーゼル発ブラウンシュヴァイク行きのインターシティ (IC501/500) に置き換えられた。
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一二等インターシティ・ユーロシティ
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「ヘルヴェティア (列車)」の記事における「一二等インターシティ・ユーロシティ」の解説
1979年5月27日のダイヤ改正から、西ドイツ国鉄はすべてのインターシティに二等車を連結するようになった。この改正からヘルヴェティアも二等車を含むインターシティとなり、TEEではなくなった。運行区間は南行(IC 179)がハンブルク - チューリッヒ間、北行(IC 178)がバーゼル - ハンブルク間であるが、北行列車にはチューリッヒ始発の客車2両(一等車のみ)も連結された。南行列車は1979年と1980年の夏にはヴェスターラント(Westerland)始発となった。ただしインターシティ扱いなのはハンブルク - バーゼル間のみである。 1980年6月1日から西ヨーロッパの国際列車に対してもインターシティの種別名が用いられるようになり、ヘルヴェティアは国際インターシティとなった。運行区間は1981年以降往復ともハンブルク - チューリッヒ間となっている。 1987年5月31日、ヘルヴェティアはこの日創設されたユーロシティの一列車となった。
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