ヴァイオレット・ケイとトニー・マンシーニ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 13:46 UTC 版)
「ブライトン・トランク詰め殺人事件」の記事における「ヴァイオレット・ケイとトニー・マンシーニ」の解説
第一の殺人は第二の殺人とは無関係であったが、第二のトランク殺人の発見につながった。 被害者は42歳のヴァイオレット・ケイ(旧姓ワッツ、通称サンダース)。彼女はロンドンでダンサーと売春婦をしていたが、そこで26歳のトニ・マンシーニと出会った。彼はウェイターや用心棒として働いていたが、窃盗や故意徘徊などの前科があった。 彼の本名は「セシル・ルイス・イングランド」で、ジャック・ノタイア、トニー・イングリッシュ、ハイマン・ゴールドの名でも知られていた。2人は、1933年9月に一緒にブライトンに移り、住所を転々としていた。 ケイとマンシーニの関係はかなり荒れたものだった。1934年5月10日、マンシーニが働いていた海辺のカフェ「スカイラーク」で、酔ったケイがマンシーニに対し、エリザベス・アトレルという10代のウェイトレスと親しくしていると非難し、口論になったことがあった。生前のケイが目撃されたのはこの日が最後で、自宅の玄関で悩んでいる様子だったという。マンシーニは友人たちに「彼女はパリに行った」と話し、自分の服や持ち物の一部をアトレルに渡した。彼女の姉にも「いい仕事があるので海外に行く。日曜日に出航する。」というような電報が届いた。後にそれはその日の朝ブライトンから送られたものと判明したが、その時すでにケイは死亡していた。マンシーニは後に友人に対し、「拳で殴るなんて自分を傷つけるだけだ。自分のようにハンマーで殴って切り刻むべきだ。」というようなことを語っていたらしい。ハンマーの頭は、後に彼の古い家のゴミの中から発見されている。 マンシーニはその後、駅に近いケンプ・ストリート52番地に部屋を借り、トランクを手押し車で新しいアパートに運んだ。彼はケイの遺体を入れたトランクをベッドの足元に置き、布をかけてコーヒーテーブルとして使ったが、臭いと体液が漏れていたために訪問者から苦情が来た。 ケイの失踪は警察にも知られていたが、先の未解決事件で関心が高まり、7月14日にマンシーニは事情聴取を受けた。先の犠牲者が若すぎることからケイでないことはわかっていた。翌朝警察が到着するも、マンシーニはすでにロンドン行きの列車に乗っていた。しかし捜索する中で、マンシーニの宿泊施設でケイの遺体を偶然発見した。警察は国中に指名手配し、マンシーニはロンドン近郊で逮捕された。検死は、バーナード・スピルズベリーによって行われた。
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