ヴァイオリン製造を志す
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 08:04 UTC 版)
1887年、政吉は愛知県尋常師範学校の音楽教師・恒川鐐之助(1867-1906)のもとで唱歌を習い始めた。一月ほど経った頃、政吉は門人仲間の甘利鉄吉が持っていた日本製ヴァイオリンを目にする。それは東京深川の松永定次郎が作ったものであった。ヴァイオリンを作ったら売れるという甘利の言葉を聞いて政吉は作る決心をしたが、実物のヴァイオリンは少しの時間しか貸してもらえず、木材も入手できず、苦労を重ねることとなった。第1号は1887年から1888年に製作したが売れず、2号を経て、3号は1号の二倍の音量を出せるほど進歩した。1888年、自作のヴァイオリンが恒川の門人に売れたことで、政吉は自信を持った。
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