ワング・ラボラトリーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 06:05 UTC 版)
「アン・ワング」の記事における「ワング・ラボラトリーズ」の解説
1951年6月、ワングは後にワング・ラボラトリーズとなる個人企業を設立した。初年は苦しい状況で、ワングは会社の3分の1を繊維機械製造業者 Warner & Swasey Company に売却することで5万ドルの運転資金を捻出した。1955年に磁気コアメモリの特許が発効されると、ワングはそれをIBMに50万ドルで売却し、Ge-Yao Chu と共にワング・ラボラトリーズを設立した。同社は徐々に成長し、1964年には100万ドルの年間売り上げに達した。デジタルのディスプレイのある卓上電子計算機の製造を開始した。計算装置を内蔵し、遠隔の端末群から共同利用できるものだった。1970年には、年商2700万ドル、従業員1400名にまで成長した。1976年、同社はワードプロセッサの製造を開始した。電卓やワードプロセッサに加え、同社は1970年代初めごろからミニコンピュータも製造販売するようになった。 1986年にワングは世界5位の資産家として名声を博して大統領自由勲章も授与され、中華人民共和国にも投資を始めて故郷の上海や厦門に合弁会社を設立して母校の上海交通大学にコンピュータ機器を寄贈するなどその貢献から人民大会堂に招かれて鄧小平と会談した。同時期、ワングは経営の第一線から身を引き、息子であるフレッド・ワングに会社を引き継ごうとした。1989年には3万名の従業員を抱える企業に成長した。しかし、経営が悪化し、アン・ワングは1989年に息子を解雇した。
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