ワシントンポストの報道
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「ディープ・スロート (ウォーターゲート事件)」の記事における「ワシントンポストの報道」の解説
当初、この事件は単なる「盗聴騒ぎ」としてそれほどには注目されていなかった。そのなかで『ワシントン・ポスト』のウッドワードとカール・バーンスタインは事件発覚の日から取材を続けていた。やがて取材に行き詰まったウッドワードは、3年前の海軍在籍時に親しくなった「政権内部の重要人物」に接触を求め、1972年10月の深夜にワシントンのポトマック河畔のある駐車場で面会し、事件の真相について尋ねたことが「ディープ・スロート」の発端である。 ウッドワードはこの重要な取材源を隠すことに最大限の注意を払い、彼も自らの話を記事にしないことをウッドワードに約束させて、ウッドワードとの話に応じた。ただし、後にウッドワードが述べているように、一般的に政権内部のことについての情報を提供したことはなく、「政権内部の重要人物」はウッドワードの問いかけに具体的に答えることはせず、どこに行けばそれに関した重要な情報が得られるか、そのことを伝えていた。ウッドワードはやがてこの「政権内部の重要人物」からの情報を柱に違う角度からの記事を書いていった。ウッドワードとバーンスタインは、事件の情報源となったホワイトハウスの内部深くを知る匿名の密告者を「ディープ・バックグラウンド」という仮名で呼んでいたが、事件が起こった1972年1月に公開され、大ヒットしたポルノ映画『ディープ・スロート』から、当時の『ワシントン・ポスト』編集局次長ハワード・サイモン(英語版)が、冗談を込めてこの呼び名を使うようになった。 「ディープ・スロート」は厳密には内部告発を行なったわけではなく、世間に対して自ら何かを訴えたわけでも、情報を自分で漏らしたわけでもない。情報を入手して世間に明かしたのは、『ワシントン・ポスト』の2人の記者である。具体的に「ディープ・スロート」が行ったのは、情報を得る方法を記者達に示唆したことである。「ここに情報がある」という風に直接的に情報を示すかわりに、「こういう情報を探せ」という様な道筋をおおまかに示した。具体的に道筋を見つけたのは、あくまでも記者たちの仕事だった。 その後、ウッドワードが取材し見つけたものに対して、「ディープ・スロート」は「それではまだ不足だ。もっと探せ」とか、「同じ種類の情報をもっと探せ。二重チェックせよ」などと言い、あるいは「それでいい」と合格点を与えることもあった。「ディープ・スロート」は、どのような情報があるかを明らかに知っていたことになるが、自分で直接教えることはしていないため、秘密漏洩をしたわけではない。
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