ローマの浴場文化の継承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 05:53 UTC 版)
「ハンマーム」の記事における「ローマの浴場文化の継承」の解説
イスラム世界の公衆浴場の建設は、正統カリフ時代の征服運動と並行して行われたとされる。 中東・イスラーム世界は、かつてのローマ帝国の東南部を征服した際に、ローマ人の浴場文化を引き継ぎ発展させたと考えられている。イスラーム社会で最初期の浴場として知られるのは、8世紀頃に作られたウマイヤ朝時代のものに遡る。預言者ムハンマドは浴場を利用しなかったようであるが、4代目カリフ・アリーは浴場で身体を洗っていたと伝えられている。ハディースは浴場に対して否定的な立場を取っていると考えられているが、常に心とともに身体を清潔に保つことを重んじるイスラムの教えに浴場の目的が合致するために、公衆浴場が一般に急速に普及していった側面もある。 また、ハンマームはローマ世界から、浴場に壁画を飾る伝統も受け継いだ。偶像崇拝を禁じるイスラームの教義からイスラーム法学者は浴場の壁画に否定的な見解を示し、イスラーム国家の中にはウマイヤ朝のウマル2世のように壁画の破壊を命じた君主もいた。しかし、ハンマームに壁画を飾る習慣は後の時代まで残り、良質な浴場を構成する条件の1つに美しい壁画を数える意見もある。
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