ローマの接触と属州ブリタンニアの成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 18:58 UTC 版)
「ブリタンニア」の記事における「ローマの接触と属州ブリタンニアの成立」の解説
ガイウス・ユリウス・カエサルがガリア戦争中の紀元前55年と54年に2度の遠征を行ったときが、ローマとブリタンニアが直接に接触した最初である。ただ、この遠征はガリアを掌握する一環として行われたものであり、恒久的な拠点を獲得するものではなかった。 40年にカリグラは再びブリタンニアへの遠征を企画したが、この計画自体は実現性に乏しく、その後ローマで政変が起こり、結局実行されなかった。 ブリタンニアが実際にローマの勢力に組み入れられたのは、43年のクラウディウス帝の遠征によってである。このときアウルス・プラウティウス(英語版)を総司令官とする4個軍団約4万のローマ軍は、カトゥウェッラウニ(英語版)族の王カラタクス(英語版)に率いられたブリトン人部族連合を破り、ついでクラウディウス帝自身による援軍を待った後、カトゥウェッラウニ族の都であるカムロドゥヌム(現在のコルチェスター)を占領した。直後にクラウディウス帝は同地で属州設置宣言を行い、紀元43年に属州ブリタンニアが誕生した。占領当時はカムロドゥヌム(後に植民市化)を中心とする南東部一帯のみを支配下に置いていたが、その後ローマは北部、西部、南西部の各方面に軍を展開、抵抗する部族を平定し、着実に領土を増やしていった。なお、南西部に展開した第9軍団ヒスパナは、のちにフラウィウス朝初代皇帝となるウェスパシアヌスが軍団長を務めていた。
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