ローマの攻撃とは? わかりやすく解説

ローマの攻撃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 13:58 UTC 版)

タレントゥム攻城戦 (紀元前209年)」の記事における「ローマの攻撃」の解説

マルケッルスと戦うためにハンニバルカルタゴ軍率いて出撃し、カヌシウム(現在のアスコリ・サトリアーノ)で激突したカヌシウムの戦い)。他方ファビウスタレントゥム海陸から攻撃するための準備行っていた。このとき、タレントゥム防衛従事していたブルジオ・フィリメノの率い傭兵隊接触する機会があったが、彼らはローマ側に付くことを密かに決定していた。なお、プルタルコスによると、裏切ったのは司令官のカルタロであるとされている。 ローマ軍タレントゥム包囲しているとき、カルタゴ海軍のボミルカルが艦隊率いて封鎖突破試みた。しかし、封鎖は厳重であり、自軍食料不足したためタレントゥム離れざるを得なかった。 包囲開始6日後にローマ軍総攻撃実施された。ローマ軍は2箇所から攻撃行った。市の北西から陽動攻撃行い主力はフィリメノの兵士が守る城壁東側から攻撃行った。その部分城壁城門制圧しローマ軍市内突入した戦闘短時間終わりカルタゴ軍司令官であったカルタロも戦死したその後市内略奪が行われた。 ハンニバルローマ軍攻撃警戒しており、軍を率いてタレントゥム戻った。しかし既に街は陥落しておりローマ兵が守備についていた。ハンニバルはメタポントゥム(現在のベルナルダのメタポント)に撤退した

※この「ローマの攻撃」の解説は、「タレントゥム攻城戦 (紀元前209年)」の解説の一部です。
「ローマの攻撃」を含む「タレントゥム攻城戦 (紀元前209年)」の記事については、「タレントゥム攻城戦 (紀元前209年)」の概要を参照ください。

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