紀元前488年のローマの攻撃
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「ローマ・アエクイ戦争」の記事における「紀元前488年のローマの攻撃」の解説
紀元前488年、ローマを追放され復習に燃える将軍ガイウス・マルキウス・コリオラヌスとウォルスキ族のアッティウス・トゥッリウス(en)が指揮するウォルスキ軍がローマを攻撃・包囲した。コリオラヌスはローマ市内にいた母に説得され、撤退した。しかしウォルスキ軍は引き返し、ローマを再び攻撃、さらにアエクイ軍と合流した。しかし、アエクイはトゥッリウスを指導者として受け入れることを拒否、論争となりついには両軍の間に戦闘が発生した。結果、両軍とも弱体化し、どちらもローマの脅威ではなくなった。
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