紀元前493年のローマの反撃
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「ローマ・ウォルスキ戦争」の記事における「紀元前493年のローマの反撃」の解説
紀元前493年、執政官ポストゥムス・コミニウス・アウルンクスが率いたローマ軍は海岸沿いのウォルスキ都市アンティウム(現在のアンツィオ)からの軍を打ち破った。ローマ軍はウォルスキ軍をアンティウムの北方のロングラ(en)まで追撃した。ローマ軍はロングラを占領、さらに北方へ進軍しポッルスカ(en)を占領、コリオリ(en)に達した。 ローマ軍はコリオリの包囲戦を開始したが、包囲に集中するローマ軍に対し、アンティウムから来た別のウォルスキ軍が攻撃を仕掛け、同時にコリオリからも出撃してきた。若いパトリキであるガイウス・マルキウスはウォルスキ軍の攻撃時に見張りを行っていた。マルキウスは少数のローマ兵を集めて部隊を組織し、コリオリから出撃してきたウォルスキ軍を攻撃した。マルキウスは敵を撃退しただけでなく、城門から市内に突入し、城壁近くのいくつかの家に火を放った。コリオリの市民は泣き叫び、全ウォルスキ軍は戦意を失い、ローマ軍に敗北した。ローマ軍はコリオリを占領、マルキウスはコリオラヌスというコグノーメン(第三名、家族名)を得た。
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