紀元前492年 - ローマの飢餓とウォルスキの疫病
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「ローマ・ウォルスキ戦争」の記事における「紀元前492年 - ローマの飢餓とウォルスキの疫病」の解説
紀元前492年、前年のプレブスの離反で種まきが行われず、ローマでは飢餓が発生した。執政官はウォルスキ含め近隣から穀物を購入しようとした。ウォルスキ商人がローマに穀物を販売しようとすると、暴力によって脅された。 リウィウスはウォルスキが引き続きローマ攻撃の準備を行っていたとする。しかしウォルスキでは疫病が流行し、戦争ができる状態ではなくなった。ローマはこれを見て地歩を固めた。2年前にローマの植民市となっていウェルトゥラエには新たな植民者が起こられ、ウォルスキとの国境近くのラティウム同盟都市ノルバ(en)も、新たにローマの植民市となった。
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