プレブスの離反
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/29 13:26 UTC 版)
「マニウス・ウァレリウス・マクシムス」の記事における「プレブスの離反」の解説
軍がローマに戻った後、ウァレリウスは元老院に対して、市民が苦しんでいる債務の問題を解決するように要求した。しかし元老院は行動せず、これにウァレリウスは怒った。彼は元老院議員に対してこう言った: 諸兄らは、私が融和を求めることを許さなかった。しかし、すぐに諸兄らはローマ市民が私のようなパトロヌス(庇護者)を求めるのを目にするであろう。私に関しては、これ以上市民を落胆させるつもりなく、また目的無しに独裁官を続けるつもりもない。内部の対立と外からの危機が、独裁官の権威を求めた。既に外国との平和は実現したが、内部の平和は阻害されている。私は独裁官ではなく一市民として、これからの騒動に対する目撃者となろう。 —マニウス・ウァレリウス・マクシムス、ティトゥス・リウィウス、『ローマ建国史』、2.31 ウァレリウスは独裁官を辞職して自宅に戻ったが、市民はこれに拍手喝采した。
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