ロックアウト危機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/11 09:57 UTC 版)
「1995-1996シーズンのNBA」の記事における「ロックアウト危機」の解説
前季のオフに起こった「バック・ウィリアムス事件」の尾を引く球団オーナーと選手会の新労使協定締結はシーズンが終わっても解決を見ず、このオフも両者の交渉と対立は続いた。リーグは7月1日に選手会に対して、新協定の合意が無ければロックアウトを実施するという最終宣告を通知。そして実際に幾つかの業務を停止させている。事実上NBA初のロックアウト突入という事態にパトリック・ユーイングを始めとする有志の選手が問題解決に動き、ラグジュアリー・タックス(贅沢税)の引き下げや、ラリー・バード例外条項の復活などのリーグからの譲歩を引き出した。9月には新協定合意の是非を問うNBA全選手による無記名投票が行われ、この時は226選手中134の反対で否決されたが、後日選手代表25名のみで再投票が行われ、23名が賛成に投票。9月15日に行われた球団オーナー24人の投票でも19人が賛成に投じ、ようやく新協定締結が決まり、新シーズンが始まる前にロックアウトも無事解除された。協定の主な内容は以下の通り。 ラリー・バード例外条項の復活。 ルーキー・サラリーキャップの確立。これが上記のケビン・ガーネットの高額契約に繋がる。 サラリーキャップの上限をリーグ全体の収益48.04%とする。 なお、この時指導力を発揮したユーイングは、後に選手会の会長に就任する。またこのオフではNBA公式審判員達に対するロックアウトも起きており、彼らは12月になってようやく職場復帰した。
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