レイェフスキのボンバとジガルスキのシート
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「マリアン・レイェフスキ」の記事における「レイェフスキのボンバとジガルスキのシート」の解説
1937年、レイェフスキと暗号局のドイツ暗号解読担当部門は、ワルシャワ近郊、ピレ付近、カバティの森(ワルシャワ市南部にある現在のカバティ森林保護地域)にある秘密本部に移動した。1938年8月15日、ドイツは暗号化と日鍵の送信方法を変更し、そのときのエニグマ暗号解読方法が全て使えなくなってしまった。ポーランドの暗号チームは、あたらしい解読方法を開発するべく即時に反応した。そのひとつがレイェフスキのボンバであった。それは、電気モーター駆動の機械で、エニグマのコピー6台を接続したものであり、日鍵を2時間でつきとめる能力があった。11月半ばまでにこのタイプの機械を6台作成した。プラグボードによって変換される文字の組は限られているという前提に基づいている、先の表を使う方法と同じ原理の方法で、ボンバは日鍵を見つける。なお、イギリスが 対二次世界大戦中に、エニグマ暗号を解読するために使用した基本的な装置であるボンブ(英語版)は、レイェフスキの装置にヒントを得て作られ、名前も同じだが(ポーランド語ではこの機械をボンバ(bomba)と名づけられたが、これは英語のボンブ(bombe)と同義)動作の仕組みは全く違うものである。 レイェフスキがボンバを製作したちょうど同じ頃、ジガルスキは穿孔された大きな紙のシートを使って解読する別の方法を確立しようとしていた。これはジガルスキのシートと呼ばれ、プラグボードによる文字の入れ替えの影響を全く受けない方法だった。しかし、1938年12月15日に変換ローターのセットに2種類の新しいローターが加えられ、解読作業は10倍の労力が必要となり、レイェフスキのボンバもジガルスキのシートも作業の効率が落ちていった。新しい暗号化方式で暗号化された文章を解読するためには、60台の暗号暗号ボンバを作成し、相当数のジジガルスキのシートのセットも作らなくてはならなかった。しかし、これだけのものを準備するために必要な費用は、暗号局の予算の15倍を超えた。加えて、1939年1月1日暗号化の方法が再度変更されドイツがプラグボードによって変換する文字を12から20に増やすと(これによってプラグボードの設定が1000倍以上に増える)ボンバによる解読はますます進まなくなった。
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