リタスの導入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 09:03 UTC 版)
1993年6月25日、100タロナスに対して1リタスという比率で新通貨リタスが導入された。また1USドルに対して4.5リタス、数週間後には4.2リタスというレートが定められた。しかしながらリタスが導入されても不祥事が続いた。政府はタロナスからリタスへの交換について、出所を示さなくても無制限に認めた。そのためこの制度が悪用されて犯罪集団の資金源となった。 7月にはタロナスの流通が停止され、1993年8月1日にはリタスが唯一の法定通貨となった。リタスの再導入を受けて、市場からUSドルの引き上げが図られた。タロナスはまったく信用されておらず、ルーブルは非常に不安定だった。このため市民はUSドルを安定通貨として使用していた。このほかにもドイツマルクが用いられていたが、その使用量は限られていた。商店では価格をUSドルなどの複数の通貨単位で表示し、外国通貨で売買することが法的に認められていたこともあって経済はきわめてドルに依存していた。 タロナスと初期のリタス紙幣はその品質が低かったため偽造されやすかった。そのためほとんどの商店では偽札かどうかの確認のために紫外線ランプを備えなければならなかった。たとえばある集団は500タロナス紙幣をトルコで印刷して、その総額は14万リタスに上ると見られている。 1994年4月1日から2002年2月1日までリタスはUSドルとのあいだで $1 = Lt4 の比率でペッグされていた(このペッグの実施直前の半年間は $1 = Lt3.9 前後で安定していた)。この為替相場の固定のおもな理由は通貨制度が新しく信用が低かったこと、為替相場の大きな変動を恐れたこと、外国投資家をひきつけたかったこと、国際通貨基金の勧告を受けていたことが挙げられる。このペッグは毎年更新することができた。短い期間ではあるがこのペッグ制はバスケット通貨である欧州通貨単位とのあいだでなされていたと考えられた。このころにリトアニアはカレンシーボード制を設置していた。 1994年4月1日以降、リタスは完全に金と安定債券に信用を担保された。
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