ラッシュよほら空はむらさきに暮れてゆく
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恋の句は難しい。なにしろ十七音という短さである。いとしさやせつなさ、揺れる思いを伝え切るのには無理がある。恋愛句に挑戦した者なら誰でも、短歌の持つ七七の余裕や、現代詩の自由性が羨ましいと思った経験があるはずだ。 この句の収録句集『空の海』は十年ほど前に出版されている。「月光下貝の名前を掘りあてる」、「絶ってゆくのは水にとどかぬ花のため」など繊細で美しい作品が多く、光や色、生命といったモチーフに溢れていて、いかにも若い女性らしい句集である。だが、今回改めて読んでみて意外に恋の句が多いことに気がついた。「君の名を呼べばくちびる美しき」、「逢えないのだ色をなくしてゆく明日も」など、思いをそのままに詠う句もあれば、「流星は深夜吐息のたび生まれ」、「組む指がさくら色して合図なり」、「ひそやかに呼吸合わせる夏時間」など、恋愛句かどうかの判断は別として、感情に寄り添う身体感覚がひそやかに詠まれた句もあって、ちょっとどきどきしながら再読した。その中で、この句が不思議な印象を持って心に残ったのである。 夕暮れ時。彼と待ち合わせて帰宅するのだろうか。ギュッと詰まった電車の中で、扉の硝子に広がる夕焼け空を見つめている。茜色の空が刻々と紫に変わり、やがては紺色の夜空になってゆく。この日常の、そしてまた二度とは巡ってこないような時間。彼も私も黙ったままで過ぎてゆく。ちょっと耐えられなくなって、無意味なことのようだけれど、声に出して呼びかけてみた。 この句の眼目は「ほら」という呼び掛けにある。この小さな肉声が二人の距離や温もりを感じさせ、暮れてゆく空の広さや色彩の効果とともに、実に趣のある恋愛句に仕立てていると思うのだが、どうだろうか。もしこれが親子の会話だったり、「ほら」が別の意味だったりすると、私の妄想がとんでもない勘違いを生んだことになるのだが、それも俳句の妙味?としてどうかお許し頂きたい。 |
評 者 |
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備 考 |
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