ライフスタイルの変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 13:53 UTC 版)
「1960年代のカウンターカルチャー」の記事における「ライフスタイルの変化」の解説
集団、コミュニティー、そしてインテンショナル・コミュニティーは、この時代よりポピュラーになった。 アメリカでは、さまざまなコミュニティーとは土地へともどって外の干渉から自由に生きる農業の試みとしてあらわれた。時代がすすむにつれて、ふつうのコミュニティへの幻滅だけでなく、カウンターカルチャーそのもののある要素に対しても反応した。人々は新しいコミュニティをつくって、賛同する人たちをあつめた。これらの自立的コミュニティの中から、環境保護活動が生まれた。霊的意識、ヨガやオカルトの実践、そして潜在能力への関心が生まれ、組織化されたそれまでの宗教観をかえていった。1957年、ワシントンの調査会社ギャラップの調査によると米国の住民の69%が、宗教が影響力を増していると答えた。 ジェネレーションギャップ、つまり古い世代と新しい世代のあいだの世界観のギャップはおそらくカウンターカルチャー時代にもっとも大きなものだった。1960年代から1970年代はじめにかけて開いたギャップは、若者のファッションやヘアスタイルの急激な変化から生まれたものだったが、旧世代のひとたちはそれを誤解して嘲笑した。男子のロングヘア、黒人のアフロヘアー、女子の露出ファッション、主流化するサイケデリックな服とヒッピー文化。結局のところ、実用的で快適なカジュアルファッション、つまりTシャツ(しばしば、タイダイ染めや政治主張の文句だったものの)とリーヴァイスのブルージーンズぐらいが新旧世代の共通点となった。世界的にはTシャツ、ブルージーンズ、一般的なカジュアルウェアの人気が高まっていたにもかかわらず、カウンターカルチャーファッションは、1970年代後半のディスコとパンクロックの時代到来によって幕を閉じた。
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