ユーゴスラビア鉄道
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ナビゲーションに移動 検索に移動ユーゴスラビア鉄道(ユーゴスラビアてつどう、クロアチア語: Jugoslavenske željeznice、セルビア語: Југословенске железнице、スロベニア語: Jugoslavenske željeznice、マケドニア語: Југословенски железници)は1920年代に旧ユーゴスラビアで設立された鉄道事業者で、略称はJŽである。
ユーゴスラビア鉄道はユーゴスラビア王国の国有鉄道として設立され、1929年にユーゴスラビア国有鉄道(JDŽ)に改称された。1941年に一旦、ユーゴスラビア国有鉄道は中断されクロアチア国有鉄道(HDŽ)とセルビア国有鉄道(SDŽ)が設立されるが、第二次世界大戦後の1952年に再建されユーゴスラビア鉄道と改称されている。ユーゴスラビア鉄道はユーゴスラビア連邦の各国が独立する1990年代まで存在した。
使用車両
ユーゴスラビア鉄道はハンガリー製の蒸気機関車を広く使用していた。電化が開始されると、イタリア製の電気機関車が使われ、スウェーデン製や国産の車両も使われるようになった。ディーゼル機関車のほとんどは、ゼネラルモーターズ製であった。
- 760mm軌間の車両
継承事業者
- モンテネグロ鉄道 (Željeznica Crne Gore, ŽCG)
- クロアチア鉄道 (Hrvatske željeznice, HŽ)
- ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦鉄道 (Željeznice Federacije Bosne i Hercegovine, ŽFBiH)
- スルプスカ共和国鉄道 (Жељезнице Републике Српске, ЖPC)
- スロベニア鉄道 (Slovenske železnice, SŽ)
- マケドニア鉄道 (Македонски Железници, МЖ)
- セルビア鉄道 (Железнице Србије, ЖС)
- コソボ鉄道 (Hekurudhat e Kosovës / Косовске Железнице)
外部リンク
ユーゴスラビア国鉄
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「ドイツ国鉄52形蒸気機関車」の記事における「ユーゴスラビア国鉄」の解説
ユーゴスラビアにも52形が残された。これらはスロベニアから承継の15両とクロアチアから承継の24両で、33形(33-001~015・016~039)としてユーゴスラビア国鉄に編入された。戦後、戦時賠償として1945年にドイツから137両の52形を獲得して33-041~177として編入、更に1947年~1948年にかけてソ連から50両(33-180~229)を譲受した。52形は同国では余程好評であったらしく、1952年には西ドイツ国鉄から不要となった35両の52形を譲受して33-231~265とした後、1962年~1964年には再びソ連から不要となったТЭ形が2回に分けて55両と21両で合計76両購入され、33-226~320・321~341となった。 これらユーゴスラビア国鉄機は1980年代半ばまでに淘汰された。 一方、ユーゴスラビア国内では国鉄向け以外にも炭鉱鉄道向けとして1960年にチェコスロバキアから2両、1964年にはソ連から3両の52(ТЭ)形が購入されてそれぞれ33-501・502と33-503~505と付番された。 このためユーゴスラビアには合計で342両の52形が在籍したことになる。 ユーゴスラビアの連邦解体後、ここから分離独立したボスニア・ヘルツェゴビナでは内戦状態が長く続いたためもあってか、2017年の時点でも33形が現役で稼働する姿が目撃されている。 なお、ユーゴスラビア国鉄33形蒸気機関車には上記の欠番を埋めるNos.178・179・230が存在したが、これら3両はドイツ国鉄50形に由来する。
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