ヤロスラフ1世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 09:18 UTC 版)
ヤロスラフ1世(ヤロスラフ1せい、ロシア語: Ярослав Владимирович)、ヤロスラウ1世(ウクライナ語: Ярослав Володимирович、古東スラヴ語: Ꙗросла́въ Володи́мировичъ、978年頃 - 1054年2月20日)は、キエフ・ルーシの大公(在位:1016年 - 1054年)。「賢公」(古東スラヴ語: Мѫ́дрꙑи)と呼ばれる。父はウラジーミル1世、母はポロツク公女ログネダ。息子にイジャスラフ1世、スヴャトスラウ2世、フセヴォロド1世がいる。キエフ・ルーシの大公に即位する以前にロストフ公、またノヴゴロド公を歴任。
注釈
- ^ 詳しくはウラジーミル1世の家庭生活と子どもたちを参照されたし。
- ^ 「キーリキヤ」「キキリヤ」「ツェツィリヤ」は、それぞれロシア語: Килликии、Кикилии、Цецилии(いずれも前置格)からの転写による。
- ^ ニコライ・カラムジンは、ヴャチェスラフはシュターデ伯レオポルトの娘・オダと結婚していたと推定しているが[4]、オダはヴャチェスラフの兄のスヴャトスラフの妻と考えられている。
- ^ 従来の説ではオーラミュンデ伯家の娘クニグンダと結婚したとされるが、近年の歴史家には、クニグンダはヤロポルク・イジャスラヴィチの妻であるとみなすものもある。
他の兄弟との兄弟順に関する諸説はイーゴリ・ヤロスラヴィチ#誕生年と兄弟順を参照されたし。 - ^ 詳しくはen:Agatha, wife of Edward the Exile#Kievan theoryを参照されたし。
出典
- 1 ヤロスラフ1世とは
- 2 ヤロスラフ1世の概要
- 3 出自
- 4 参考文献
固有名詞の分類
- ヤロスラフ1世のページへのリンク