モハ30形事故復旧車(クハ47形)の編入
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1950年8月24日に身延線内船 - 寄畑間の島尻トンネル内で全焼したモハ30173を1952年にクハ47形として豊川分工場で復旧してサロハ66形改造車の続番の47023とし、前述の1959年12月の番号整理により新製車に続く47011(2代目)に改番した。 この車両は名義上は復旧であるが事実上は新製である。基本的なレイアウトは新製クハ47形に準じており窓配置も同じdD1161D1であるが、台枠は72系のクハ79形300番台以降や70系のサロ46形→サロ75形と同じUF134、車体は新造の20 m級の全溶接製の完全切妻車体、屋根高は100 mm低い3650 mm(TR23装着時)となっている。座席は当時新製されていた80系に準じており、便所も設置されたが寸法が小さく、便器は対角線の向きに設置された。台車は豊川鉄道引継ぎのサハ1形から流用した釣合梁式のTR11であったが、1966年に飯田線に転入したクハ16011と交換してTR23となった。更新修繕は施工しておらず、1959年3月に屋根上の通風器をガーランド形からグローブ形に交換したのみである。
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