モジャイスク防衛戦-10/30)とは? わかりやすく解説

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モジャイスク防衛戦(10/13(月)-10/30(木))

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 03:38 UTC 版)

モスクワの戦い」の記事における「モジャイスク防衛戦(10/13(月)-10/30(木))」の解説

モスクワ陥落危機対しヨシフ・スターリン10月10日レニングラード攻防戦一段落させたゲオルギー・ジューコフ首都防衛命じ西方面軍司令官就任させた。同時にソ連国防委員会は、政府機関や工場等をウラル方面へと疎開させつつもモスクワ市民を中心にドイツ軍に立ち向かわせ、冬将軍が来るまでできるだけ長く足止めをするという作戦実行する。これには周辺士官学校生やコムソモールからなる共産主義者義勇団等を大量動員不足していた防衛前線へ人員補充為に送られた。その中には後にパルチザン英雄として称賛される若きコムソモールゾーヤ・コスモデミヤンスカヤ含まれている。彼女はドイツ軍駐屯地への放火に依りドイツ軍処刑されたが、これはソ連軍及びコムソモール士気高め材料には十分となった10月になり、ついに天候悪化しはじめ多くなると、舗装されていないソ連の道は泥沼化した。これがドイツ軍にとって致命的な障害となり、装甲部隊前進物資補給もままならなくなった一方ソ連軍はこうした自然条件慣れていたのと、ドイツ軍比べ長距離移動を必要としない防御戦であるためにさほど問題はなかった。この10月中のドイツ軍前進鈍化が、モスクワ防衛体制を整える時間的猶予与えたまた、戦意高揚スターリン政権健在を示す為、この防衛戦最中であっても11月7日革命記念日には、ドイツ軍尻目に恒例スターリン演説軍事パレード敢行した。11月になると天候回復し気温低下降りて路面状態良好となり、ドイツ軍進撃スピード回復する。しかし、ドイツ軍は冬までに作戦終了させる予定だったため、厳冬対応した衣類装備をしておらず、何よりも伸びきった補給線限界到達しようとしていた。また、ソ連軍ドイツ軍物資残さない徹底的な焦土作戦」を実施し補給現地徴収もほぼ不可能となり、ドイツ軍はいよいよ窮乏瀕した

※この「モジャイスク防衛戦(10/13(月)-10/30(木))」の解説は、「モスクワの戦い」の解説の一部です。
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