モグーリスタン・ハン国でのドゥグラトとは? わかりやすく解説

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モグーリスタン・ハン国でのドゥグラト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 20:14 UTC 版)

ドゥグラト」の記事における「モグーリスタン・ハン国でのドゥグラト」の解説

モグーリスタン・ハン国は他の遊牧国家と同様、複数遊牧集団連合によって成り立っていたが、その中で最も有力であったのがドゥグラトであったモグーリスタン・ハン国歴史記した『ターリーヒ・ラシーディー』によると、ドゥグラトはアミール・フダーイダードの時代隆盛し、数々特権与えられるようになったという。 アミール・フダーイダードはヒズル・ホージャシャムイ・ジャハーンムハンマドナクシ・ジャハーンシール・ムハンマドヴァイスという六人ハーン擁立功績挙げ、更に自らの子孫にハーン家の娘を迎えることでキュレゲン(ペルシア語ではクールカーン)と称し、自らの地位不動のものとした。アミール・フダーイダードの名声周辺諸国にも伝わっており、明朝ビシュバリク頭目アミール・フダーイダード(別失八里頭目忽歹達)がハーン擁立した功績によってハン国実権握っていることを記しティムール朝明朝派遣した使者ドゥグラト家の保護によって旅程を無事過ごすことができたと記録している。 また、『ターリーヒ・ラシーディー』にはドゥグラト家にはアミール・フダーイダード以来特別に12特権認められていたことが記録されている: 太鼓所持 軍旗所持 二人部下千戸旗を携えるハーン会議におけるクール着用 狩猟についての特権 全モグール・ウルスのアミールたる事、そして勅書彼の名が「モグール・ウルスの首長」と記される彼の幕廷における坐位は、他のアミールたちより一弓身分だけハーンに近い事 千戸長の任命権所有し任免に際してハーン裁定を必要としない事 彼と彼の子孫は、九度までは罪を犯して審問されない事 祭典に際しハーン勅命を聴受する時、下馬を必要としない事 祭典に際しハーン彼の盃が特別に取り扱われるあらゆる勅書に、彼の證印ハーンの下に捺す事 これらの特権モンゴル帝国で「ダルハン」に与えられていた特権一致するまた、ドゥグラトモグーリスタン最初にイスラーム教改宗した一族であると伝えられており、そのために宗教的な面においても他の遊牧集団の上立っていた。後にモグーリスタン・ハン国ハーン権威失墜し、代わってスーフィー権威強めようになったのは、ドゥグラト部の影響大きいと考えられている。

※この「モグーリスタン・ハン国でのドゥグラト」の解説は、「ドゥグラト」の解説の一部です。
「モグーリスタン・ハン国でのドゥグラト」を含む「ドゥグラト」の記事については、「ドゥグラト」の概要を参照ください。

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