モグーリスタン・ハン国でのドゥグラト
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「ドゥグラト」の記事における「モグーリスタン・ハン国でのドゥグラト」の解説
モグーリスタン・ハン国は他の遊牧国家と同様、複数の遊牧集団の連合によって成り立っていたが、その中で最も有力であったのがドゥグラトであった。モグーリスタン・ハン国の歴史を記した『ターリーヒ・ラシーディー』によると、ドゥグラトはアミール・フダーイダードの時代に隆盛し、数々の特権を与えられるようになったという。 アミール・フダーイダードはヒズル・ホージャ、シャムイ・ジャハーン、ムハンマド、ナクシ・ジャハーン、シール・ムハンマド、ヴァイスという六人のハーンの擁立に功績を挙げ、更に自らの子孫にハーン家の娘を迎えることでキュレゲン(ペルシア語ではクールカーン)と称し、自らの地位を不動のものとした。アミール・フダーイダードの名声は周辺諸国にも伝わっており、明朝もビシュバリク頭目アミール・フダーイダード(別失八里頭目忽歹達)がハーンを擁立した功績によってハン国の実権を握っていることを記し、ティムール朝は明朝へ派遣した使者がドゥグラト家の保護によって旅程を無事過ごすことができたと記録している。 また、『ターリーヒ・ラシーディー』にはドゥグラト家にはアミール・フダーイダード以来特別に12の特権が認められていたことが記録されている: 太鼓の所持 軍旗の所持 二人の部下が千戸旗を携える事 ハーンの会議におけるクールの着用 狩猟についての特権 全モグール・ウルスのアミールたる事、そして勅書に彼の名が「モグール・ウルスの首長」と記される事 彼の幕廷における坐位は、他のアミールたちより一弓身分だけハーンに近い事 千戸長の任命権を所有し、任免に際してハーンの裁定を必要としない事 彼と彼の子孫は、九度までは罪を犯しても審問されない事 祭典に際し、ハーンの勅命を聴受する時、下馬を必要としない事 祭典に際し、ハーンと彼の盃が特別に取り扱われる事 あらゆる勅書に、彼の證印をハーンの下に捺す事 これらの特権はモンゴル帝国で「ダルハン」に与えられていた特権と一致する。 また、ドゥグラトはモグーリスタンで最初にイスラーム教に改宗した一族であると伝えられており、そのために宗教的な面においても他の遊牧集団の上に立っていた。後にモグーリスタン・ハン国でハーンの権威が失墜し、代わってスーフィーが権威を強めるようになったのは、ドゥグラト部の影響が大きいと考えられている。
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