メンバーの死〜メジャーレーベルへ(1996年 - 1998年)
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「ザ・シャーラタンズ」の記事における「メンバーの死〜メジャーレーベルへ(1996年 - 1998年)」の解説
1996年夏、バンド史上最も不幸な事件が訪れる。5thアルバムのミックスダウン中だった7月22日、ロブが自分のBMW車を運転中に事故を起こした。すぐに救急車で病院へ運ばれたものの、運ばれる前に既に心肺停止状態であったという。事故の原因は飲酒運転であり、しかもシートベルトを着用していなかったことが致命的となった。バンドは、既に出演が決まっていたオアシスのネブワースでの野外ライブ(8月11日)、V96フェスティバル(8月16日)への出演をキャンセルすることを考えたが、プライマル・スクリームのキーボード、マーティン・ダフィーの協力を得て出演を決行。8月26日発売の14thシングル「ワン・トゥ・アナザー」(全英3位)は、ロブが100%参加した最後のシングル作品となった。また同シングルのプロモーションビデオは事故前に撮られていて、これが映像としてのロブの最後の姿である。 ダフィーをレコーディングにも迎え入れたバンドは、1997年初頭にニューアルバムを完成させる。またその頃、メジャーレーベルのMCA/ユニバーサルとレコード契約を結んだ。この契約以降、新作は英国以外ではユニバーサルからリリースされることになる(英国内でのユニバーサルからの新作リリースは、6thアルバム『アス・アンド・アス・オンリー』の先行シングル「フォーエヴァー」から)。そして1997年3月24日に、15thシングル「ノース・カントリー・ボーイ」(全英4位)をリリース。4月21日には5thアルバム『テリング・ストーリーズ』を発表し、全英チャートで2週連続第1位を記録した。同アルバムは前作同様、デイブ・チャールズとバンドのセルフプロデュースによるもの。このアルバムではインスト曲が2曲あるものの、全編を通してバージェスのボーカルとしての存在感が増し、歌詞もあいまいなものからメッセージ性の強いものへと大きく変化している。またこのアルバムから、バージェスのハーモニカが本格的に取り入れられている。そしてアルバム発表直後の全英ツアーから、現在のキーボード、トニー・ロジャースが正式メンバーとしてバンドに加入した。6月9日に16thシングル「ハウ・ハイ」(全英6位)をリリースし、9月に4度目の来日公演を行う。10月20日には、17thシングル「テリング・ストーリーズ」(全英16位)をリリース。このシングルのB面収録曲より、ロジャースがレコーディング、曲作りに参加している。 1998年2月23日、『サム・フレンドリー』から『テリング・ストーリーズ』までのシングルを収録した初のベスト・アルバム『メルティング・ポット』(全英4位)をリリース。アルバムジャケットに写っているカフェは、バンドがベガーズ・バンケットと契約後、初めて会議を行った思い出の場所である。1998年は曲作りに専念したり、私生活に時間を費やしたりするなど、夏のフェスティバルに数回出演した以外は目立ったバンド活動はなかったが、9月に5度目の来日を果たし、東京と大阪でライブを行っている。東京公演は単独ライブではなく、Tokyoクールキャンプと題されたフェスティバル形式のライブにヘッドライナーとして出演した。
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