メンドシーノ郡のロスト海岸の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/15 22:18 UTC 版)
「ロスト海岸」の記事における「メンドシーノ郡のロスト海岸の歴史」の解説
この地域初期のヨーロッパ人開拓者は生皮をなめして皮革製品にするためにタンオークの木肌の採取を始めた。木肌の収集者はウサル・クリークの北支流水源にあった泉の周辺にケニーとよぶ小さな集落を作った。1884年に木肌を船積みするためにベアハーバーに桟橋が造られた。ベアハーバーとイール川鉄道が1896年に合併し、その桟橋とイール川南支流のアンダーソニアに建設された製材所とを繋いだ。鉄道駅の場所は近くのホテルと酒場の所有者に因んでムーディと名付けられた。ロスト海岸にあるアンダーソニアの町、アンダソン渓谷およびアンダーソン崖は、その製材所の所有者ヘンリー・ネフ・アンダーソンに因んで名付けられた。アンダーソンは1905年に建設工事の事故で死んだ。製材所と鉄道の運営はアンダーソンの死後に衰退し、施設は1921年に解体された。 1889年にウサル・レッドウッド会社がウサル・クリークの河口に製材所と1,600フィート (480 meter) の桟橋を建設した。ウサルの企業町が製材所の周りに建設され、材木を運ぶ鉄道はウサル・クリークの3マイル (5 km) 上流まで延伸された。1902年に起こった火事で、その製材所、学校、倉庫およびウサル・クリークに架かっていた郡の橋が破壊された。鉄道は廃線になったが、ホテルを含め幾つかの建物は1969年の火事で焼けるまで残っていた。険しい地形と海岸に船を係留するには不向きな条件のためにジャッカス・クリーク流域の伐採作業が遅れていたが、その後内燃機関を利用した輸送が可能になった。1948年から1959年に掛けて伐採のためにウィーラーの企業町が建設されていた。1975年にシンキョーン原生地州立公園がロスト海岸の土地の買収を始めた。
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