メンデルとその再発見以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 07:24 UTC 版)
メンデルはエンドウマメの形態に注目して1856年から交配実験を行い、その結果を分析し、それが三つの法則にまとめられると考えた。彼は1865年にブルノ自然研究会で口頭発表し、翌年には会誌に論文を発表した。彼によると、形態の遺伝は一対の遺伝粒子を仮定することで説明できる。それは親の体内では変化を被ることなく子に受け継がれる。また各個体は両親からこれを1個ずつ受け取り、子をなす際には自分の作る配偶子にこれを1個ずつ分配する。詳しくはメンデルの法則を参照。 彼の発表、および論文がある程度の範囲の専門家の耳に入っていたのは間違いないが、大きな評価を得ることはできず、1900年に再発見されるまで反響はなかった。他方でそれまでと同様に様々な交配実験が行われ、時にはその報告にメンデルの論文が引用された例もある。むしろ、この間に細胞や染色体に関する知見が正確化した点が大きいかもしれない。たとえば植物において花粉と卵子が受精することが判明し、また減数分裂の存在が予想されるようになっている。 この時期、上記の流れとは別に、生物の多様性に注目した研究としてフランシス・ゴルトンによる生物統計学も創始されている。これは現代では非科学的な優生学を含んだものであったが、「継承されるもの」としての遺伝の性質を説明したメンデルの研究では捉えきれなかった、「集団内の連続的な多様性」を説明する遺伝の性質を捉えたものであった。これらの研究は、対象の過程を研究する中で統計学の発展と生物現象への統計解析の導入を促し、集団遺伝学が誕生する土壌となったと言える。
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