メルセデスとの提携
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 03:21 UTC 版)
1985年、ザウバー・C8の開発にあたり、メルセデス・ベンツから市販ベースのターボエンジンの供給を受けた。奇しくも先述の1955年のル・マンの大惨事によって30年間レースから遠ざかっていたメルセデスを、同事故によってレースから遠ざかっていたスイスのモータースポーツチームが呼び戻したことになる。デビュー戦のル・マン24時間レースでは予選中にユノディエール・ストレートでマシンが宙を舞い、決勝出走を断念した。 1986年、世界スポーツプロトタイプカー選手権にC8を本格投入し、第7戦ニュルブルクリンク1000kmにて初優勝を遂げた。 1987年、さらに進化したザウバー・C9を開発。1988年にはメルセデスが正式にモータースポーツに復帰することを発表し、チーム名を「チーム・ザウバーメルセデス」とした。これによりザウバーはワークス・チームとなり、選手権開幕戦より優勝を果たすなど11戦中5勝を挙げ、チームズランキング2位を獲得した。 1989年、C9は開幕戦鈴鹿で1-2フィニッシュを挙げ、世界三大レースの1つであるル・マン24時間レースにも優勝。同年の選手権8戦中7勝という圧倒的な強さを見せ、ドライバーズとチームズのダブルタイトルを制覇した。 1990年もメルセデスベンツ・C11を投入して9戦中8勝、ル・マン優勝こそジャガー・XJR-12に譲ったものの、世界スポーツプロトタイプカー選手権連覇。また、前年のドイツF3選手権のランキング上位3名(カール・ヴェンドリンガー、ハインツ=ハラルド・フレンツェン、ミハエル・シューマッハ)を採用し、ヨッヘン・マスらベテランと組ませて交替で参戦させた。この「メルセデス・ジュニアチーム」はメルセデスのレースディレクターであるヨッヘン・ニアパッシュが計画したもので、若手ドライバーの起用に難色を示していたザウバーも彼らの才能を認めることになった。 1991年はエンジンレギュレーション変更に合わせNAエンジンのメルセデスベンツ・C291を投入したが、信頼性不足で1勝(ランキング3位)に終わり、この年を以って耐久レースでの活動を終了した。ペーター・ザウバーは「私はスポーツカーレースとともに生まれ、ともに死ぬことを望んでいた」「しかし、メルセデスがF1の計画を研究するよう言ってきたときには、ほかに方法がないのだと理解した」と語っている。
※この「メルセデスとの提携」の解説は、「ザウバー」の解説の一部です。
「メルセデスとの提携」を含む「ザウバー」の記事については、「ザウバー」の概要を参照ください。
- メルセデスとの提携のページへのリンク