メルセデスCLRの事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 17:20 UTC 版)
「1999年のル・マン24時間レース」の記事における「メルセデスCLRの事故」の解説
この年のル・マンでは、メルセデス・ベンツ・CLRのチームが予選、レースで合計3つの大きなクラッシュが発生した。 CLRの空力設計上の欠陥により、特にインディアナポリスへの走行やミュルザンヌストレートなど、別の車を追いかけたり丘の頂上にいたりするときに、車のノーズの下に大量の空気が溜まる可能性があった。 マーク・ウェバーのCLR4号車は、木曜日の夜の予選中にインディアナポリスで空中を飛んだ。金曜日に、メルセデスチームが問題を解決しようとして、リアサスペンションを微調整して、新しいシャーシで4号車を修復することを許可された。ダウンフォースを高めるために、ウィングレットが前面に取り付けられた。すべての車が予選を通過したが、土曜日の朝のウォームアップ中に、ウェバーはユノディエールのこぶの上で舞い上がり、リアから接地した後横転し屋根から落下し、ミュルザンヌのコーナーで止まるまで滑走した。 4号車はレースを棄権したが、他の2台のCLRは決勝レースを戦う為、不安定さを緩和するためさらに別の試みで緊急調整を行った。 スタート5時間後の75周目、ピーター・ダンブレックのCLR5号車もインディアナポリスコーナー(トラックの非常にでこぼこしたセクション)の直前で空中を飛行し、今度はトラックから飛び出してコース脇の林に墜落した。この事件は、前の2つとは異なり、実際にテレビカメラによって映され、世界中に放送された。メルセデス・ベンツはすぐに残りのCLR6号車を棄権し、レースから姿を消した。 メルセデス・ベンツがル・マンとスポーツカーレースから撤退したのは、2回目。最初の事故は、1955年のルマンの事故だった。
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