メディオロジーの提唱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 03:40 UTC 版)
「レジス・ドゥブレ」の記事における「メディオロジーの提唱」の解説
詳細は「メディオロジー」を参照 メディオロジーの構想は、1979年の『フランスにおける知識人の権力』においてすでみられ、その後の『誘惑する国家』や『イメージの生と死』でもみることができるが、1991年の『一般メディオロジー講義』以降、メディオロジーを新たな学問として提唱するようになる。メディオロジーとは端的に言えば、思想や言説のもつ力を、その思想なり言説がいかなるメディア(媒介)によって伝えられるのかによって問うことによって、人類史上の出来事(たとえば、初期キリスト教の形成や社会主義革命)を包括的に捉え直そうとする営みであるが、たとえば、1994年の『メディオロジー宣言』のなかでは、次のように説明されている。 私はつまり、高度な社会的機能を伝達作用の技術的構造とのかかわりにおいて扱う学問を「メディオロジー」と呼んでいる。人間集団の象徴活動(宗教、イデオロギー、文学、芸術など)と、その集団の組織形態、そして、その痕跡を捉え、保管し、流通させる様態とのあいだに、できれば検証可能な相関関係をそれぞれの事例に即して論証することを「メディオロジー的方法」と呼んでいる。 以後、ドゥブレは矢継ぎ早に著作を発表。メディオロジーに対しては正統派アカデミズムからの批判(たとえば社会学者のピエール・ブルデューのそれ)も大きかったが、1994年にはメディオロジー関連の著作を業績としてパリ第一大学で博士号、大学教授資格を取得。1996年には、機関誌『カイエ・ド・メディオロジー』(Les Cahiers de médiologie)を創刊。1999年、リヨン第三大学の哲学教授。
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