メカニック時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/04 08:16 UTC 版)
1942年、四人兄弟の末っ子として大阪府に生まれる。父親は太平洋戦争で亡くなったため、母方の実家で育った。木炭自動車を弄りながら育ち、1963年に自動車整備の専門学校を卒業。トヨタ自動車工業に臨時工として入社し、技術部車両実験課に配属された。同年初開催の第一回日本グランプリがきっかけで、レース部門『トヨタ自工第七技術部』が誕生するとメカニックとして選ばれた。成瀬はトヨタ工業学園の卒業生ではないため序列は下であったが、現場にときどき顔を見せていた豊田英二専務(のち社長)の信頼を得て班長に出世。トヨタ・2000GTやトヨタ・7のレース活動を担当し、第二回日本Can-Am優勝に貢献した。 1973年にレース活動を希望するスイスのトヨタディーラーに出向し、過酷なニュルブルクリンクで車両開発と人材育成を行うドイツ車メーカーの姿勢に感銘を受けた。同年7月にメカニックとして参加したヨーロッパツーリングカー選手権(ETC)のニュルブルクリンク6時間レースでは、ピットのガレージを用意してもらえず、傘をさして屋外で作業するなど過酷な環境の中2リットルクラスで優勝(総合6位)し、会場から拍手が巻き起こった。
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