ミラン (非防護巡洋艦)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/08 05:22 UTC 版)
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艦歴 | |
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発注 | ロアーヌ社造船所 |
起工 | 1882年 |
進水 | 1884年5月 |
就役 | 1885年 |
退役 | |
その後 | |
除籍 | 1908年 |
前級 | デュプルデュー |
次級 | スファクス |
性能諸元 | |
排水量 | 常備:1,705トン |
全長 | 92.05m |
水線長 | -m |
全幅 | 10.0m |
吃水 | 4.75m |
機関 | ベルヴィール式石炭専焼円缶12基 +横置き型レシプロ機関2基2軸推進 |
最大出力 | 4,000hp |
最大速力 | 18.4ノット |
航続距離 | -ノット/-海里(石炭:330トン) |
乗員 | 194名 |
兵装(就役時) | Model 1891 10cm(-口径)単装砲4基 オチキス 3.7cm(23口径)五連装機砲8基 |
兵装(1890年時) | Model 1891 10cm(30口径)単装速射砲4基 4.7cm(43口径)単装機砲12基 35.6cm水上魚雷発射管単装2基 |
装甲 | なし |
ミラン(Croiseur Milan)はフランス海軍の非防護巡洋艦。同型艦はない。
概要
前級のヴィラル級は2,300トン台であったが、本艦より小型の艦形として1,700トン台で高速・軽武装の偵察用の汽帆走巡洋艦としてエミール・ベルタンにより設計された。完成時には二等巡洋艦として就役したが、後に三等巡洋艦に類別変更された。船体は従来の木造から鋼製となり、小型の船体に搭載された高出力の機関により当時としては高速の部類の18.4ノットを発揮した。
艦形
船体形状は当時、フランス海軍が主力艦から軽艦艇に至るまで主に導入していたタンブル・ホーム型船体である。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られることや、当時の装甲配置方式では船体の前後に満遍なく装甲を貼る「全体防御方式」のために船体が短くなればその分だけ装甲を貼る面積が減り、船体の軽量化が出来るという目的に採られた手法である。
水線下に衝角を持つ艦首から艦首甲板上に主砲の10cmライフル砲を単装砲架で並列に2基、単脚式の前部マストが建つ。その後ろに2本煙突が建ち、その間に両脇に船橋(ブリッジ)を持つ艦橋が建つ。その周囲は艦載艇置き場となっており、それらは2本1組のボート・ダビッドが片舷1組ずつ計2組で運用された。後部甲板上に2本のマストが立ち、主砲の10cmライフル砲を単装砲架で並列に2基の順であった。
参考図書
- 「Conway All The World's Fightingships 1860-1905」(Conway)
- 「Conway All The World's Fightingships 1906-1922」(Conway)
- 「世界の艦船 増刊第50集 フランス巡洋艦史」(海人社)
関連項目
外部リンク
- 'Milan' (1882)本艦のスペックと艦形図があるページ。
「ミラン (巡洋艦)」の例文・使い方・用例・文例
- 次にボンドはザオを追ってロンドンへ向かい,そこでダイヤモンド王グスタフ・グレーヴス(トビー・スティーヴンス)と広報係のミランダ・フロスト(ロザムンド・パイク)と対面する。
- 中田選手が加わるかもしれないクラブチームには,イングランド・プレミアリーグのチェルシー,セリエAのACミラン,フランスのオリンピック・マルセイユがある。
- 彼には別居中の妻マリー・アン(ミランダ・オットー)との間に2人の子ども,ロビー(ジャスティン・チャットウィン)とレイチェル(ダコタ・ファニング)がいる。
- 編集長のミランダ・プリーストリー(メリル・ストリープ)は世界一気難しく厳しい上司なのだ。
- ミランダはすべてにおいて完(かん)璧(ぺき)を要求する。
- まもなく,アンディはミランダが驚くほどおしゃれで有能なアシスタントに変身する。
- 1999年には,ACミランを指揮し,イタリアのセリエAでの優勝に導いた。
- 世界の強豪サッカークラブであるイタリアのACミランが4月,愛知県小(こ)牧(まき)市にサッカースクールを開校する。
- 「ACミランサッカースクール愛知」は,同クラブにとってイタリア国外で12校目,日本では初のサッカースクールである。
- スクール開催を申し出たいくつかの市や町の中からACミランが小牧市を選んだ理由は,小牧市には充実した競技施設があるからだ。
- ACミランを小牧市に誘致した「地球子ども村」という名称の団体がこのサッカースクールを運営する。
- ACミランの役員で元イタリア代表のフランコ・バレージ氏は記者会見で,「ヨーロッパのチームに入団する日本人サッカー選手はどんどん増えている。日本サッカーの発展を手助けしたい。」と語った。
- ACミランは,インテル・ミラノの長(なが)友(とも)佑(ゆう)都(と)選手に続くような優れたサッカー選手を育成したい考えだ。
- 本田圭(けい)佑(すけ)選手がACミランに入団
- 1月8日,イタリアのサッカーリーグ,セリエAのACミランがチームの最新メンバーである本田圭(けい)佑(すけ)選手を報道陣に公式紹介した。
- 本田選手はACミランと3年半の契約を結んだ。
- 彼はCSKAとの契約が昨年末に満了した後にACミランに加入したのだ。
- ACミランはヨーロッパで最も成功を収めているサッカークラブの1つとして知られている。
- イタリアの新聞「ガゼッタ・デロ・スポルト」は,この日本人選手はミランに新たな熱をもたらすだろうと書いた。
- ロシア紙の「ソビエト・スポーツ」は,ACミランが今季低迷していることを述べ,CSKAモスクワからの本田選手の移籍はミランのサポーターにとって天からの贈り物だと書いた。
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