ミディ運河の建設とは? わかりやすく解説

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ミディ運河の建設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/03 17:46 UTC 版)

ピエール=ポール・リケ」の記事における「ミディ運河の建設」の解説

詳細は「ミディ運河」を参照 17世紀フランス大西洋側から地中海側への物資を運ぶ為には、海路イベリア半島大回りジブラルタル海峡通過する必要があった。このルート時間がかかる上に、当時ジブラルタル海峡支配していたスペイン通行税支払う必要があった。運河により大西洋地中海直接結ぶという構想は、この時間通行税削減のために考え出されたもので、スペイン南部活動していたバルバリア海賊脅威もこの構想後押ししたリケ運河建設ルイ14世提案し国家プロジェクトとしての勅許得たフランスでは古くから民間活用したインフラ整備が行われており、ミディ運河の建設もそうしたもののひとつだった。1666年より建設始まったミディ運河地中海面したセートからトゥールーズを結ぶものであったが、標高差のあるこの地方人手による運河建設かなりの困難を伴った乾燥した夏の間に運河供給する為、まず標高のもっとも高い地点人工湖サン・フェレオール貯水池)を築き次にそこから引いたコントロールして、船を標高の高いところに通すためにフォンセランヌの7段の水門閘門)を設け、さらに元々の自然の川を上に水の通して立体交差にする等、当時水力地形測量幾何学建築技術結集する必要があった。難工事続きにより建設コスト増大し国家予算だけでは足りずリケ私財をつぎ込み家財売り払いついには娘の持参金までつぎ込んだと言われている。結局運河完成したのは、リケ亡くなった8ヵ月後の1681年のことだった。死後トゥールーズサン=テティエンヌ大聖堂埋葬された。

※この「ミディ運河の建設」の解説は、「ピエール=ポール・リケ」の解説の一部です。
「ミディ運河の建設」を含む「ピエール=ポール・リケ」の記事については、「ピエール=ポール・リケ」の概要を参照ください。

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