マラ・バル・セラピオン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 05:52 UTC 版)
「史的イエスの資料」の記事における「マラ・バル・セラピオン」の解説
詳細は「Mara bar Serapion on Jesus」を参照 マラ・バル・セラピオン(英語版)は、ローマ帝国のシリア属州出身のストア派の哲学者である。西暦73年から3世紀のある時にマラが息子に宛てた手紙に、イエスの十字架刑に関する非キリスト教の初期の言及が含まれている可能性がある。この手紙では、ソクラテスの殺害、ピタゴラスの火刑、ユダヤ人の「賢王」の処刑という「三賢者」に対する不当な扱いに言及している。この3件では、間違いを犯した結果その責任者が将来的に神罰を受けることになり、賢者が虐げられたとき神は抑圧者を罰し、最後には賢者の知恵が勝利すると、マラは説明している。この手紙にはキリスト教の主題は含まれず、著者のマラはキリスト教徒ではないと推測されている。 このユダヤ人の「賢王」処刑への言及を非キリスト教の早い時期の言及と見る学者がいる。「ユダヤの王」はキリスト教の称号ではないことや、賢王はその教えの知恵によって生き続けるというこの手紙の前提は、イエスは復活によって生き続けるというキリスト教の概念とは対照的であることなどが、この手紙の非キリスト教的起源を裏付ける基準になっている。Robert Van Voorstのような学者は「ユダヤ人の王」の処刑についての言及は、イエスの死についてであることに疑いの余地はないと見ている。Craig A. Evansのように、この手紙の年代が不確かであることや、言及が不確かである可能性があることから、この手紙の価値は低いと考える学者もいる。
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