マグナム・フォト - 再び、中南米での活動
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「ジゼル・フロイント」の記事における「マグナム・フォト - 再び、中南米での活動」の解説
アルゼンチンではさらにシャルル・ド・ゴールの自由フランス政府の情報省からの依頼で南米情勢について取材し、1946年にパリに戻った後、南米芸術展を開催した。次いで人類博物館からの依頼で再び南米に向かい、パタゴニア(アルゼンチンおよびチリのコロラド川以南の地域)、ティエラ・デル・フエゴ(南米最南端)で人々の暮らしや風景をカメラに収めた。 1947年にロバート・キャパ、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ジョージ・ロジャー、デヴィッド・シーモアによりマグナム・フォトが結成されると、キャパに誘われて会員になった。マグナム初の女性写真家であった。マグナム専属の報道写真家として米国、カナダ、中米、エクアドル、ペルー、ボリヴィア、ブラジル、アルゼンチン、メキシコで取材した。メキシコ滞在は2週間の予定であったが、ラテン・アメリカに魅せられ、さらにフリーダ・カーロとディエゴ・リヴェラに出会ったため、2年間にわたってフリーダと彼女を取り巻く世界を写真に撮り続けることになった。このときの写真は、2013年に現代出版資料研究所とアルバン・ミシェル(フランス語版)の共編で『フリーダ・カーロ』写真集として出版された。 1950年にアルゼンチンのフアン・ペロン大統領夫人エヴァ・ペロンの日常生活をカメラに収め、『ライフ』誌に発表した。被写体の素顔を捉えるのがフロイントの得意とするところであったが、大統領夫妻はこのような写真が気に入らず「これ見よがしで恥かしい」と批判した。挙句はこの『ライフ』誌がアルゼンチンで没収され、フロイントは出国を余儀なくされた。
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