マカロニ・ウェスタンの父
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 18:15 UTC 版)
「セルジオ・レオーネ」の記事における「マカロニ・ウェスタンの父」の解説
1910年代からイタリアで西部劇は作られていたが、どれもハリウッド製西部劇を真似た二番煎じのB級映画ばかりだった。最終的にマカロニ・ウェスタンやスパゲッティ・ウェスタンと呼ばれるイタリア製西部劇を世界的に広めたのはレオーネである。だが、当初は資金難だったためドイツやスペインから資金を調達していたという。そのためよく金銭問題で喧嘩になったという逸話がある。 『荒野の用心棒』で顕著であるが、低予算のため知名度のある俳優が起用できず、ドイツやスペインなどヨーロッパ諸国から俳優を呼んで映画を撮影することもあった。そのため撮影現場で各国の俳優がそれぞれ自国語で演技したのを、後で公開する国ごとに声優が吹き替えるという手法が取られた。このやり方は後続のマカロニ・ウェスタン製作のスタンダードとなる。最盛期には年間数十本も濫造されたマカロニ・ウェスタンだが、1970年代に入ると観客に飽きられてしまい、急速にそのブームは失速した。 レオーネの作品が国際的に人気を得たため、『続・夕陽のガンマン』から『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』にかけては様々なバージョンが製作された。主にアメリカなど世界に向けて上映するため上映時間を短縮したインターナショナル版と、母国イタリアで公開された完全版などがある。
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