ポアンカレ写像とは? わかりやすく解説

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ポアンカレ写像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/31 15:09 UTC 版)

ポアンカレ写像

力学系理論におけるポアンカレ写像(ポアンカレしゃぞう、: Poincaré map)とは、連続力学系を次元が1つ低い離散力学系に簡約化する方法である[1]。特に周期軌道カオス軌道のような、何度も回り続けるような軌道を調べる際にポアンカレ写像は効果を発揮する[2]

連続力学系の相空間内にポアンカレ断面や切断面と呼ばれる次元が1つ低い超曲面(例えば相空間が3次元のときは曲面、相空間が2次元のときは曲線)を考える[3]。連続力学系の軌道がポアンカレ断面を繰り返し横切るとき、ポアンカレ断面上では点が移っていくような写像を定義できる[1]。これをポアンカレ写像という[1]。周期的な非自律系ではその周期間隔で軌道を記録する手法もあり、これを非自律系のポアンカレ写像やストロボ写像という[4][5]

ポアンカレ写像は、アンリ・ポアンカレによって天体力学の研究の中で導入された[6]。ポアンカレ写像の概念は、1881年から1886年にかけて発表されたポアンカレの論文「微分方程式によって定義される曲線について」(Mémoire sur les courbes définies par une équation différentielle および Sur les courbes définies par les équations différentielles)の中に見られる[7]

趣旨、および利点と限界

連続力学系(流れ)の軌道は、相空間内の一つの曲線として表される。レスラー方程式における xyz 空間上の軌道の様子。

力学系とは、簡単に言うと、状態が時間とともに変化するシステムで、その変化の法則が決定論的な形で与えられているものである[8]。力学系には、実数 R の連続的な時間に従う変化を記述するものがあり、これは連続力学系や流れと呼ばれる[9]。通常、連続力学系は微分方程式ないしベクトル場の形で与えられる[9]。連続力学系の例として、独立変数tR従属変数(x1, x2, x3) ∈ R3 とする次のような常微分方程式を考える[10][11]

連続力学系の軌道に対して設置したポアンカレ断面とポアンカレ写像の様子。O が3次元相空間中の連続力学系の軌道、Σ が3次元相空間内に設定された2次元のポアンカレ断面、PΣ 上の点 x0Σ 上の点 x1 へ写すポアンカレ写像

一方で、相空間が3次元あるいはそれ以上の次元になると、軌道の追跡やアトラクターの構造解明には困難が伴い、軌道を描くことも難しくなる[14][15]アンリ・ポアンカレは、このような連続力学系の軌道を見るための単純化の手法を発見した。3次元相空間の中にとある2次元平面を考え、その平面を軌道が通過する点(平面と軌道の交点)を記録する。これらの平面上の点には、元の連続力学系の軌道の多くの情報が含まれており、元の軌道全体を調べる代替となりうる。点 x0 で軌道が平面を通過した後に、点 x1 で同じ向きに平面を通過するとすれば、点 x0 を点 x1 へ写す写像 P(x0) = x1 が定義できる。このような写像 Pポアンカレ写像と呼ぶ[16]。軌道が通過する平面は、ポアンカレ断面などと呼ばれる[17]

力学系には、連続力学系のほかに整数 Z自然数 N の離散的な時間に従う変化を記述するものもあり、これは離散力学系と呼ばれる[9]。一般的に、離散力学系は差分方程式

左がベクトル場に対して横断的な Σ の例、右が横断的ではない Σ の例

さらに、Rn 内でベクトル場 f に横断的な n − 1 次元超曲面 Σ を考える。ここで、Σf横断的であるとは、Σ 上の任意の点 ξ で、ベクトル f (ξ)

R3 上のポアンカレ写像 P(x) の説明図

そして、ξ ∈ Σ から出発する軌道が、τ 時間後にまた Σ 上に戻って来ると仮定する。すなわち、 ある τ = τ(ξ) > 0 があって、φ(τ, ξ) ∈ Σ である[37]Σ 上に戻って来ることは複数ありうるので、それらのうちの最小時間を τ(ξ) とする。このときの写像 Σ ∋ ξφ(τ(ξ), ξ) ∈ Σポアンカレ写像である[37]。特に、ξ を改めて x と表し、

周期軌道 γ 近傍のポアンカレ写像 P(x) の説明図

微分方程式全般ではポアンカレ写像がうまく定義できるかは非自明だが[42]、流れが周期軌道(閉曲線となる軌道)を持つときは、その周期軌道の近傍でポアンカレ写像の存在が次のように保証される[42][45]

自律系常微分方程式より定まる力学系に周期軌道が存在し、その周期軌道を γ とし、γ の周期を T とする。周期軌道上の点 x0 ∈ γ と交わるように n − 1 次元曲面 Σ を取る。Σx0γ と横断的に交わるように取れば、Σ はベクトル場 f に横断的なポアンカレ断面になる[46]

x0 から出発する軌道は時間 T 経過後に x0 に戻って来る[28]。また、f (x)C r 級(r ≥ 1)であれば、φC r 級である[36]。よって、x0 に十分近い点 x ∈ Σ から出発する軌道は、x0 の近くに戻って来る[28]。そのため、Σ 上で x0 の近傍 U ⊂ Σ を適当に取れば、U 上の任意の点 x から出発する軌道が Σ と再び交わるようにできる。こうして構成できる U から Σ への写像 P がポアンカレ写像である[28]

周期的な非自律系の場合(ストロボ写像)

周期 T の非自律系に対するポアンカレ写像(ストロボ写像)P(x)
相空間 R2 かつ周期 T の非自律系を拡大相空間 R2 × T で考えたときのポアンカレ写像 P(x)

常微分方程式には、次のように、時間 t を陽に含む非自律系でなおかつ t について時間 T の周期性を持つ場合がある[47]

一つの周期軌道に対して異なる断面を取っても、それらのポアンカレ写像は位相共役である

ある周期軌道に対して異なるポアンカレ断面 Σ1Σ2 を取ったとする。Σ1Σ2 上に定義されるポアンカレ写像を P1P2 と表す。このとき、P1P2C r 共役の関係にある。すなわち

ポアンカレ写像 P の不動点 p が漸近安定ならば、p を通る周期軌道 γ も漸近安定

流れによる周期軌道安定性の問題は、ポアンカレ写像の不動点の安定性の問題に帰着でき、周期軌道の安定性は、ポアンカレ写像の固有値で特徴付けできる[23]。一般に、連続力学系において点 p を通る流れ φ(t, p) ないし軌道 O(p) が安定(リアプノフ安定)であるとは、任意の ε > 0 に対してある δ > 0 が存在し、‖ xp ‖ < δ ならば任意の t ≥ 0‖ φ(t, x) − φ(t, p) ‖ < ε となることをいう[62][63][64]。ここで ‖ • ‖ノルムを表す。流れ φ(t, p) が不安定であるとは、φ(t, p) が安定でないことをいう[63][65]。安定の条件を満たし、なおかつ、ある δ1 > 0 が存在して ‖ xp ‖ < δ1 ならば t → ∞‖ φ(t, x) − φ(t, p) ‖ → 0 であるとき、p を通る流れ φ(t, p) ないし軌道 O(p) は漸近安定または吸引的であるという[62][63]。他方、離散力学系における写像の不動点の安定性も同様に定義できる[50]

Rn 内における流れによる周期軌道を γ とし、その周期を T とする。周期軌道上の点 pγ に交わるようにポアンカレ断面を取ると、p はポアンカレ写像 P の不動点でもある[36]p から T 後の状態を与える流れ φ(T, p)微分 (T, p) は、1 を必ず固有値として持つ。(T, p)1 以外の固有値を λ1λn − 1 とする。すると、pγ におけるポアンカレ写像 P の微分 DP(p) は、同じ固有値 λ1λn − 1 を持つ[66][67]。そして次のように安定性が判別できる。

  • λ1λn − 1 の絶対値が全て 1 より小さければ、離散力学系の定義の意味で P の不動点 p は漸近安定(吸引的)で、連続力学系の定義の意味で軌道 γ も漸近安定(吸引的)である[68][69]
  • λ1λn − 1 の絶対値が一つでも 1 より大きければ、離散力学系の定義の意味で P の不動点 p は不安定で、連続力学系の定義の意味で軌道 γ も不安定である[68]
周期軌道のサドルノード分岐の様子

流れの周期軌道の分岐の分類も、ポアンカレ写像の不動点の分岐に帰着して理解することができる[44][70]。流れが周期的な非自律系の場合でも、同様にストロボ写像に帰着させることができる[71]。例えばサドルノード分岐とは、安定な不動点と不安定な不動点が衝突し、不動点が消滅するという現象が起きるだが、ポアンカレ写像の不動点がサドルノード分岐を起こすとき、対応する流れの周期軌道でも不安定な周期軌道と安定な周期軌道が衝突し、周期軌道が消滅する現象が起きる[72][70]。分岐の向きが逆の場合も同様に、ポアンカレ写像の分岐と流れの周期軌道の分岐が対応付く[73]

ほかの離散力学系の分岐現象であるトランスクリティカル分岐ピッチフォーク分岐周期倍分岐、ネイマルク・サッカー分岐も、流れの周期軌道の分岐現象と対応付けできる[74]。流れの周期軌道が周期倍分岐を起こすと、安定な周期軌道が不安定化し、その周囲に2巻きの安定周期軌道が発生する[75]。2巻きの安定周期軌道の周期は、元の1巻き安定周期軌道のおよそ2倍となる[76][73]。ポアンカレ写像では、安定な不動点が不安定化し、その周囲に安定な2周期点が発生する現象となる[75]

懸垂

ある離散力学系が与えられたときに、それをポアンカレ写像として持つ1次元高い連続力学系を作ることもでき、このような手法は懸垂と呼ばれる[76][77]。ただし、作られる連続力学系の相空間は一般にユークリッド空間ではなく、一意でもない[78][79]

離散力学系が多様体 M からそれ自身への微分同相写像 f : MM で与えられるとする。M単位区間 [0, 1] との積空間 ˆM = M × [0, 1] に対して (x, 1) ∼ (f(x), 0) という同値関係を考えることで、商空間 ˆM/∼ を新しい相空間として導入する。[•]ガウス記号とすると、空間 ˆM/∼ 上に

ファン・デル・ポル方程式相図。ポアンカレ断面 v+ と、リミットサイクルに対応するその断面上の不動点 xf の様子。青色および橙色の曲線はリミットサイクルの外側および内側の初期値から出発する軌道で、どちらもリミットサイクルに近づく。

連続力学系の漸近安定な周期軌道はリミットサイクルとも呼ばれる[20]。安定なリミットサイクルの周りの軌道は、回転しながらリミットサイクルへ近づいていく[86][87]。次のファン・デル・ポル方程式は周期軌道ならびにリミットサイクルを持つ非線形微分方程式の基本的な系として知られる[88]

ローレンツ方程式の2巻する周期軌道とポアンカレ写像

2巻きして軌道が閉じるような周期軌道に対してポアンカレ断面を取ると、同じ向きに横切るという制約のもとで周期軌道とポアンカレ断面は2点で交わる[11][93]。3次元の系であるローレンツ方程式

ローレンツ方程式ストレンジアトラクターとポアンカレ写像。z = r − 1 = 27 を通る xy 平面をポアンカレ断面とし、断面を下から上へ抜けるときをプロットしている。

周辺の軌道を引き付ける相空間内の不変集合はアトラクターと呼ばれ、漸近安定な周期軌道もアトラクターの一種である[97]。アトラクター上で軌道がカオス的振る舞いを示すものはストレンジアトラクターと呼ばれ、上記のローレンツ方程式で発生するストレンジアトラクターはその典型例である[98]。パラメータ σ = 10, r = 28, b = 8/3 で現れるストレンジアトラクターは穴の開いた少し曲がった円板を2枚貼り合わせたような形をしており、ローレンツアトラクターという呼び名でも知られる[99]。このパラメータでは2つの不安定平衡点が存在し、ローレンツアトラクター上の軌道はこれら平衡点の周りを不規則に行ったり来たりしながら周回する[100]

2つの不安定平衡点の z 座標はともに z = r − 1 なので、z = r − 1 を通る xy 平面をポアンカレ断面として取ったポアンカレ写像を考える。この断面を通過する点をプロットすると、2本の線分のような構造が現れる[101][102]。これは、3次元で見たローレンツアトラクターが2次元に近い(平面プラスα)構造であることに対応する[101][103]。実際にフラクタル次元を計算すると、元のローレンツアトラクターは D ≈ 2.06 と2次元に近く、ポアンカレ断面では D ≈ 1.06 と1次元に近いことが確かめられる[101][104]

周期的な外力が働く減衰単振り子のポアンカレ写像(時間 2π/Ω 刻みのストロボ写像)。γ = 0.27, B = 2.7, Ω = 1 のとき。下図は、上図の四角形範囲の拡大で、ストレンジアトラクターのフラクタル構造が見える。

周期的な非自律系におけるストレンジアトラクターの一つの例は、減衰のある単振り子に周期的な駆動力が働く場合である[105]。この系は、次のような運動方程式で表すことができる[106][107]

周期的な外力が働く単振り子のポアンカレ写像(時間 2π/Ω 刻みのストロボ写像)。Ω = 1, B = 0.1 の場合。それぞれの色のプロットが、別々の初期値から出発する1本の軌道に対応する。

保存系とは相空間の体積要素が時間発展でも一定に保たれる力学系のクラスで、ハミルトン系がその典型例である[114]。簡単な保存系の例は減衰の無い単振り子に周期的な駆動力が働く系で、次のような運動方程式で表すことができる[115]




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